「がん検診」を国を挙げて盛り上げた韓国の大失敗 長生きするための手術が「寿命を縮める」結果に

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韓国で甲状腺がんの検診が増えたことは、過剰診断のほかに「偶発症」の問題も引き起こしました。偶発症とは、胃バリウム検査で台から落ちて骨折する、内視鏡治療で腸に穴を開けられるなど、検査や治療で障害などが生じることを指します。

甲状腺は喉仏の下にある臓器で、身体の代謝を調節する甲状腺ホルモンを分泌しています。手術によって甲状腺ホルモンの分泌が減ってしまうと、後遺症として手などのしびれ、けいれん、便秘のほか、倦怠感があらわれることもあります。偶発症としてよく知られているのが発声のトラブルです。

甲状腺の裏に通っている発声に関わる神経が傷つけられ、声が出せなくなってしまうのです。韓国のケースでは、手術を受けた人のうち2パーセントが神経を傷つけられたという報告も上がっています。

声帯にシリコンを入れれば発声はかなり改善しますが、うまく喉は動かせないままなので、食べ物が食道ではなく気管に入り込んでしまう誤嚥が起こりやすくなります。高齢者の場合は誤嚥から誤嚥性肺炎となって、そのまま亡くなることも珍しくありません。日本では70歳以上の肺炎患者のうち約7割が誤嚥性肺炎。そして、誤嚥性肺炎は死因の第6位となっているほどです(2020年 厚生労働省)。

高齢になるにつれ咀嚼力や嚥下力が衰えるので誤嚥性肺炎を起こしやすくなりますが、甲状腺がんの手術によって誤嚥性肺炎のリスクは一層上昇するかもしれません。元気で長生きするための甲状腺の手術が、逆に寿命を縮めてしまうという皮肉な結果も予想されるのです。

なぜ過剰診断が起きるのか?

過剰診断が起きてしまう大きな要因となっているのが医療技術の進歩です。今までなら見つからなかったような小さながんも、どんどん見つけてしまえるようになっています。

本来、治療とは命を助けるもの。そして、転移などのように状態が悪くなるのを防ぐためのものです。

治療そのものが、身体はもちろん、精神的にも大きな負担になるケースもあり、その負担をどこまで許容すべきか? その許容の線引きは医者がするのか? 患者がするのか? 実に悩ましいところです。

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例えば大腸ポリープなどは検査のついでに取ることができ、患者さんもしんどい思いをすることもありません。腸のなかにあって現物など見たことも触ったこともないのですから、ポリープに愛着などさらさらなくて「取ってもらった、ラッキー!」という反応がほとんどです。

しかし、そうはいかないケースは多々あります。例えば、女性なら子宮や卵巣、乳房。男性なら前立腺など、その方の心の深い部分につながっている臓器に対しては、治療法の選択が苦渋に満ちたものになることもあります。

一昔前はとにかく「全摘」という治療が主流でした。がんがどこまで及んでいるのか手術前の段階では必ずしもわからないので、大きく取ってしまったほうがいいという古典的な外科の戦略です。

現在でも、ある種の乳がんに対しては全摘が標準療法としてガイドラインで定められています。

中山 富雄 国立がん研究センター検診研究部部長

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なかやま とみお / Tomio Nakayama

1964年生まれ。大阪大学医学部卒。大阪府立成人病センター調査部疫学課課長、大阪国際がんセンター疫学統計部部長を経て、2018年から国立がん研究センター検診研究部部長。NHK「クローズアップ現代」「きょうの健康」、CBCテレビ「ゲンキの時間」などのテレビ番組や雑誌などを通じて、がん予防、検診に関する情報をわかりやすく伝える活動を行っている。

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