あなたにも出来る! 社労士合格体験記(第10回)--職業訓練開始の前に韓国へ
シルクロードから帰ると、職業訓練「ビジネス法務・社会保険労務科」の合格通知が出迎えてくれました。振り返れば、その前に受験した「介護サービス科」に合格していたら、
「社労士」資格に出合うこともなかったわけで、まさに人生万事塞翁が馬です。
2004年9月1日から3カ月間は、朝から晩まで職業訓練で缶詰め状態になります。自由気ままな生活にもいよいよ終止符かと思いきや、妻が亡き父の旅日記を見つけ出しました。
豪放磊落な義父のルーツ
妻の父は彼女が18歳のときに他界したため、私は面識もありません。しかし、故郷の大分県から上京した学生たちの面倒をみたり、飲み屋で知り合ったばかりの人をいきなり家に泊めたりと、豪放磊落かつ人望のある、面白い人だったようです。他界して30年近くが過ぎた今でも、わが家には義父をしのんでよく人々が集まり、昔話に花を咲かせています。
義父の父親、つまり妻の祖父は昭和初期の国策で、氷工場を作るため朝鮮半島に渡り、義父はそこで生まれました。古都・慶州(キョンジュ)から車で3~4時間ほどの、日本海に面する良浦(ヤンポ)という田舎町です。ところが、急な国策の変更により、夢半ばで、しかも負債を抱えて、家族全員が日本へ帰国することになりました。
それから約40年の歳月が流れた1971年、事業を興し、勢いづいていた義父は、仕事で韓国を訪ねることになりました。旅日記はその時のものでした。自分が生まれた場所をひと目見たいと、ガタガタの山道を何時間も揺られ、ついに煙突が目立つ工場を探し当てた、と記されていました。
日記帳だけをたよりに
「行くっきゃない!」、そう思わずにはいられない内容でした。われわれは、地図にも載っていない良浦を目指して、8月11日から4泊5日で旅立ちました。慶州バスセンターの観光案内所では、旅の趣旨に感心した係員たちが、必死で良浦を調べてくれて、タクシーの運転手さんを紹介してくれました。