「商売を始めたころや。最初、店を開いて、さあ、売れるか売れないか。もう、前日から寝れんのや。その日は、朝から、そわそわしとるはわな。まだかまだかと。そして昼頃、最初のお客様が来たときは、感激や。そのうえ、その人が、商品を買うてくれた。思わず、涙が出た。その人が、帰っていくとき、わしは、その人の後ろ姿に、思わず、手を合わせたな。お辞儀したな。涙流しとったわ。それは、今でも忘れることが出来ん」
果たしてどのような状況であったのか、店と言ってもどういうところなのかは、私にはわからなかったが、これが松下幸之助の商売の原点なのかと感銘したことを覚えている。
多くの人に、支えられている自分。松下は、お客様だけではなかった。お客様でなくても、まわりまわって、見知らぬ多くの人のお蔭で、自分がここに生きている。病弱の自分が経営者という立場に立てている。そう思えば、もう誰に対しても、感謝、感謝の気持ちであっただろう。それは、「道行く人は、誰でもお客様」という、松下の言葉に表れている。すべての人が、お客様になり得るという思いもあろうが、この世のすべての人に「お客様」と思うほどの感謝の気持ちを持つという思いであったろう。松下電器の社員にも「まず、謙虚に感謝報恩ということを初心として、再出発しよう」と繰り返し繰り返し訓示していた。
部下を叱るときにも感謝
感謝の気持ちが強い松下幸之助、という認識は、私の脳裏に沈潜していった。そういう折、夏のある日、報告をしていると、突然に「きみ、PHP総合研究所は、社員は何人や」と聞く。「いま、250人です」と答えると、「そうか。そんなにいるんか。そうすると、君は部下を叱らんといかんときもあるわね」「ありますね」「そういうとき、きみは、どういう叱り方をしておるんや」と笑顔で尋ねてくる。
どういう叱り方といっても、部下が、失敗したときの内容も状況も異なるから、どう答えていいのか、戸惑っていると次のように言葉を重ねた。
「叱るときに大事なことは、失敗した部下を叱るときも感謝の気持ちを忘れたら、いかんということや。日頃は、よくやってくれている。ありがとう。しかしこれは、気をつけんといかん、ということやな。とにかく、まず、感謝の気持ちをもって、叱らなければならん。まあ、心のなかで、手を合わせながら、叱る。こういう心掛けで、叱らんといかんよ」
松下幸之助の94年の生涯は、「感謝の気持ち」で貫かれていたのではないだろうか。
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