ある日突然「解雇」、空白の6カ月間で得た気づき 身を持って「会社ってあっさり潰れる」と実感
──アメリカではどんな経験を?
当時はスマホ向けゲームアプリ開発のプロダクトマネジメントチームで、シニアディレクターを任されていました。
始めは日本本社からの出向というかたちだったのですが、アメリカで働き始めて2年ほど経った頃に「アメリカに骨を埋める覚悟で頑張ろう」と、子会社に転籍したんです。その頃は「大きな会社が始める海外事業なんだから絶対にうまくいくだろうし、ダメでも日本本社が何とかしてくれる」と、お気楽な気持ちもありました。
──しかし最終的に「アメリカに放り出された」と……?
そうなんです。ある日、上司から急に1on1を設定されて。呼び出される覚えはないなぁなんて考えながら席につくやいなや、「会社がクローズすることになった」と告げられました。
当時そのアメリカの子会社は200人くらい社員がいて、中でも僕は10人程のメンバーをマネジメントする立場。日本から渡米していたメンバーとは家族ぐるみで付き合いがあったので、クローズの事実をメンバーにどう伝えよう、まさか自分の身にこんなことが起こるなんて……と、頭が真っ白になりましたよ。
正式に全社にクローズが告げられた後、周りのアメリカ人のメンバーは「じゃあ次の仕事はどうしようかな」と飄々(ひょうひょう)としていて。でも日本から来たメンバーはみんな、僕と同じように呆然としていました。
アメリカ子会社に籍を置いていたので戻る場所もなく、現地の人と一緒に僕たちは突然レイオフされたのです。
アメリカに残りたい気持ちが強かった
──いや応なく転職活動を始めなければならなかったんですね。その際に、帰国して別の企業に入るという選択肢はなかったのでしょうか?
当時グリーンカード(アメリカ永住権)を取得したばかりでしたし、日本に比べてアメリカ企業のほうがワークライフバランスよく働けるので、残りたい気持ちが強かったんです。
実はクローズが決まった後、日本本社から「戻ってこないか」というお誘いをもらいました。でも帰国することは、アメリカのような待遇や働き方を失うことを意味します。給与は半分以上下がるし、残業だって増えるかもしれない。当時は子どもが生まれたばかりだったので、そのことを考えてもアメリカ残留がベストだなと考えました。
──そうしてアメリカでの転職活動がスタートしたわけですね。
僕の場合は「Fired(個人都合の解雇)」ではなく「Layoff(会社都合の解雇)」なので、次の仕事はすぐ見つかると思っていました。予想どおり、レイオフ宣言から間もなくしてとんとん拍子に2、3社の最終選考に進んだんです。「お、もう次の仕事先が決まっちゃうのか。ちょっとくらい休みたかったなぁ」なんて思っていました。
ところが結局、最終選考まで進んだ企業も、ことごとく落ちてしまったんですよ。