お金が「人の価値観を狂わせてしまう」明確な根拠 一見効果的な金銭的補助によって何が失われるか
同じように、メキシコのチアパス州では森林保護計画の一環として、多くの農民に補償金を支払って、伐採や狩り、密猟、家畜の増加を控えさせた。しかし年々、補償金を受け取る農民が増えるにつれ、森林そのもののためではなく、お金をもらえるからという理由で森林を守る農民が増えた。将来も森林を保護するかどうかについても、もらえる補償金の額しだいと考える農民が増加の一途をたどっている。
しかしチアパス州には、コミュニティ自身の計画や事業で森林を守ろうとしている地域がある。それらの地域では、農民の協力を取りつけるのに時間はかかるが、はるかに大きな社会資本が築かれている。また長期的な森林保護そのものによってもたらされる恩恵が、森林を守る動機にもなっている。お金を介在させると、生命の世界に対するわたしたちの畏敬の念は著しく損なわれてしまうようだ。
お金を得れば人が動くわけではない
これらの事例はけっして特殊なものではない。環境保護活動──ごみ拾いであれ、植林であれ、伐採や漁獲量の抑制であれ──に与える報酬の影響について、今までに実施されたもっとも包括的な調査でも、大半の制度が意図せずして、もとからある意欲を高めずにそいでいることがわかっている。
文化遺産の誇らしさや、生命の世界への畏怖や、地域社会への信頼など、わたしたちにもとからある積極的な気持ちを引き出さず、逆に、それらの価値観を損ね、代わりに金銭的な動機を植えつけている制度もある。「お金で人を動機づけると、思わぬ事態を招くことがある」と、この調査を手がけた研究者の1人、エリック・ゴメス=バゲトゥンは述べている。
「わたしたちはたいてい、価値観と動機がどのように複雑に絡み合っているかを十分に理解しておらず、将来の行動を予測できない。だから、注意が必要だ」。先述のように市場を火にたとえるなら、この節から導き出される教訓は次のようにまとめられるだろう。
マッチを擦る前と同じように、市場を始める前には注意しなくてはならない。
何を燃やし尽くし、灰にしてしまうか、わたしたちにはわからないのだから。
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