CIAが同時多発テロの予兆を見逃した「ある理由」 事件から20年、様々な原因分析がなされたが…

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航空機を武器として利用する構想は9.11の10年近く前からあった。

1994年には、アルジェリアの武装イスラム集団がエールフランスの旅客機をハイジャックする事件が発生。最終的に鎮圧されたものの、エッフェル塔に突入させる計画だったことが明らかとなった。同年には、トム・クランシーが『日米開戦』(ボーイング747がアメリカの議会議事堂に突入するスリラー)を出版。『ニューヨーク・タイムズ』紙のベストセラーリストで初登場1位となった。翌1995年には、CIA本部に航空機を突入させる自爆テロ計画が進行していたことが、フィリピン警察によって詳細に報告されている。

1997年、「ビンラディンの副官」と呼ばれたアイマン・ザワヒリが、エジプトで外国人観光客を標的にした無差別殺傷テロを扇動。子どもを含む62人の死者を出した。あるスイス人女性は、父親の首を目の前で切断されている。スイス警察はこれをビンラディンの資金提供による犯行と結論づけた。アルカイダはそれまでのテロ組織と異なり、人間を無差別に大虐殺することを追求しているかのように思えた。

諸外国からも寄せられた「テロ計画」情報

1998年、ビンラディンの対アメリカ攻撃はさらに残虐性を増す。彼はあるファトワ(イスラム教指導者が発布する見解・宗教令)を布告し、こう言った。「アメリカ人とその同盟者を──一般市民であろうと軍人であろうと──殺害することがムスリム1人ひとりの使命である。いかなる国においても可能な限り実行が望まれる」。同年8月7日、ケニアの首都ナイロビとタンザニアの首都ダルエスサラームで、アルカイダによる同時爆弾テロが発生。224人の死者と4000人超の負傷者が出た。ナイロビの爆撃には2000ポンド(900キログラム強)を超えるTNT火薬が使われたという。

2001年3月7日、ワールドトレードセンターに旅客機を突入させる6カ月前、ロシアの情報機関は、31人のパキスタン軍高官がビンラディンを積極的に支援しているとの情報を得たとして国連に報告書を提出。アフガニスタンに点在するアルカイダの55カ所の拠点も示した。

すると間もなく、エジプトのムバラク大統領もアメリカ政府に対し、爆薬を積んだ航空機でローマ訪問中のブッシュ大統領を狙うテロ計画が進行中であるとの警告をする。さらにタリバンの外相まで、ペシャワール(パキスタン)のアメリカ総領事に、アルカイダがアメリカの壊滅を目論む攻撃を計画している事実をつかんだと報告した。これはその後アメリカの報復攻撃が始まった場合に、自国が危機に陥ることを恐れたためだ。

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