仕事人間の中年ほど傷病を機に「うつ」に陥る理由 失ったアイデンティティを取り戻すのは難しい

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ではなにが違うのかというと、可能性の有無でしょうか。中年期から見た思春期は、高校3年生の夏が一度きりでも大学になればまた夏が来て、就活の旬の季節が過ぎてもチャンスのある時期です。

何者かになれる可能性、人生のページの余白がたっぷり残った時期でもあります。ところが中年の身の上には、何者かになるための時間や若さがありません。人生のページの余白もだいぶ少なくなっているのです。「今は何者でもなくても、将来はまだ決まっちゃいない」という言い訳も、中年にはできません。

人生のページの余白が乏しくなった中年が、自分の人生をやり直せるかもしれない最後のチャンスらしきものに出会ったとき、それを素通りするには努力が必要になります。

自分自身の構成要素のうちに納得しかねる部分を持っているなら、とくにそうでしょう。社会的な立場も含め、すでにアイデンティティの構成要素となるものを持っている中年が思春期のやり直しのようなことをすると、それが社会的生命にとって命取りになることもあり、しかもやり直しがききません。それでも清水の舞台から飛び降りてしまう中年の心理は、一種独特の境地と言わざるを得ません。

アイデンティティの危機に陥る危険も

中年が自分自身の構成要素を失ってしまうのはかなりの痛手です。たとえば私は昔からゲームやアニメを愛好しているのですが、近年は徐々にゲームの腕が衰え、最新のアニメの作風にもギャップを感じるようになりました。しかし、私にはゲームやアニメ以外にもアイデンティティの構成要素があるうえ、それらがまったく楽しめなくなってしまったわけではないので、痛手というほどではありませんでした。

しかし、もし私自身の構成要素がゲームやアニメ以外にはなかった場合、私は自分のアイデンティティがごっそり抜け落ちたような感覚に陥って、「アニメ愛好家やゲーム愛好家としての自分自身ではいられなくなったら、自分はもう何者でもないじゃないか」と、アイデンティティの危機に陥ってしまったことでしょう。

精神医療の現場では、こうした中年期のアイデンティティの危機がうつ病などの精神疾患へと発展してしまった患者さんをしばしば見かけます。

よくあるパターンのひとつは、仕事や事業に時間や情熱を尽くしてきた人が、なんらかの理由で仕事や事業を続けられなくなってしまった場合です。この場合、収入や外聞といった世間的な問題に加えて、自分自身のアイデンティティの大部分を占めていたものを失ったあとでどうやってそれを再構築するかという、難しい問題に迫られます。

これが思春期の人なら、まだ時間の余裕があり、社会的にも再就職や再就学のチャンスも多く、そもそもアイデンティティが形成途上なのでやり直しがしやすいでしょう。しかし、時間の余裕がより少なく、一度アイデンティティができあがってしまった中年がそれをやり直すのはなかなか大変です。

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