経産省が「産業政策の再評価」に舵を切った理由 「米中対立とコロナ禍」の中で国民的議論を

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ただし、問題はその先である。政府がミッションを設定し、その達成のために政策資源を動員するという大きな方向性には、多くの論者が賛成するだろう。必要であれば財政支出を拡大するという方針も、経済停滞の長期化が予想される現在では、受け入れやすいものになっているはずである。だが、複数ある公共目的のどれを最優先すべきか、どの分野への政府支援を強化することが望ましいのかといった具体論となると、議論の方向性はたちまち分かれることになる。

「ウィズコロナ」レポートでは、「豊かな生活、環境の保全、安全の確保、雇用の安定、格差の改善、公平な教育、持続可能な地域、健康な生活」(p.55)などの複数のミッションが候補に挙げられており、中でも「環境」、「安全保障」、「分配の改善(格差是正)」の3つが主たる目標として設定されている(p.60)。

「ゲームのルール」の変化と国民的合意

その具体策として、グリーン分野への投資強化や、サプライチェーンの強靱化、教育のデジタル転換を通じた次世代人材の育成などが提案されている。私個人としては、世界経済がグローバル化の後退局面に入っている現状認識から、サプライチェーンの強靱化がより優先されるべきミッションであると考えるが、こうした具体策については論者によって異論なしとはしないだろう。

これまで主流派経済学者の多くは、産業政策の失敗を強調する傾向にあった。政府が重点分野を指定・支援するという政策は、過去、必ずしも良好な成果を上げてきわけではない。こうした立場の論者は、政府が特定分野を保護・育成する「垂直型」の産業政策ではなく、すべての産業に役立つ基礎的な研究・開発を支援する「水平型」の産業政策のほうが望ましい、と主張する傾向にある。

この見方でいくと今回の経産省のレポートは、産業政策の基軸を再び「垂直型」に戻すもの、すなわち政府が特定分野を選定・支援する一昔前の産業政策へと逆戻りさせるもの、と受け取られてしまうかもしれない。

だが、米中対立の激化や、コロナ禍での「政府の役割」の再定義、デジタルや環境などの新技術に対する各国の政府支援の強化など、昨今の国際的な政策潮流の変化を考えるなら、今回打ち出された産業政策の新機軸は、大きな方向性としては評価されるべきものと考える。具体論に賛成・反対があるのは当然のことで、細かな論点はこれからの議論の中で煮詰めていくべきものであろう。

重要なのは、産業政策が達成すべき公共目的について、国民的な合意を形成していくことである。これまでの、グローバル化や緊縮財政が大前提とされていた時代には、各国の政策は画一化される傾向にあった。国境を開放し、市場環境を整備し、財政赤字の膨張をできる限り押さえる。こうした条件の下では、各国各様の産業政策を追求する政策余地はそれほど大きなものではなかった。

しかし、これからは「ゲームのルール」が変わる。国際的な政治経済秩序の脆弱化や、財政均衡主義の後退という国際世論の変化によって、各国がそれぞれの国情に合わせた独自の政策方針を打ち出す余地が増えてくるからだ。

どのような政策も、国民的な合意に裏打ちされたものでなければ、力強いものにはならない。経産省のレポートをたたき台として、政府や民間、市民社会のさまざまな利害関係者の意見をすりあわせながら、新時代の産業政策について議論を深めていくべきである。

柴山 桂太 京都大学大学院人間・環境学研究科准教授

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しばやま けいた / Keita Shibayama

専門は経済思想。1974年、東京都生まれ。主な著書にグローバル化の終焉を予見した『静かなる大恐慌』(集英社新書)、エマニュエル・トッドらとの共著『グローバリズムが世界を滅ぼす』(文春新書)など多数。

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