なぜ世界中で「渋沢栄一」が研究されているのか 渋沢の資本主義思想「合本主義」の今日的意義
金融資本主義の暴走の歯止めとして注目
渋沢栄一について海外で最も早く注目し、その本質を理解して称賛したのは、アメリカの経営学者ピーター・ドラッカー(1909~2005)でした。
1960年代にドラッカーは、「経営者にとって最も大事なことは財力でも、地位でもなく、責任だと渋沢は考えていた」と語っています。その後に高度成長が始まり、日本が経済大国になるにつれて、徐々に海外でも「近代日本の資本主義の父」や「道徳と経済の一致を唱えた財界人」として渋沢の名前が知られるようになりました。
しかし、海外の多くの研究者が本格的に渋沢に関心を持ち始めたのは、米ソの冷戦終了後、急速にグローバル化が進み、日本経済のバブルがはじけ、企業の不祥事や銀行の倒産、合併が相次いだ1990年代、いわば「失われた10年」の時代からです。
とくに2008年のリーマンショック以降、アメリカやイギリスの経済学者・経営学者さえも、経済倫理の必要性を真剣に考えるようになりました。
つまり、英米流の金融資本主義は「見えざる手」による市場メカニズムを過信し、私益をあまりにも追求するために、バブル現象を周期的に生み出してしまう。そして、貧富の差を拡大するだけでなく、バブル崩壊による世界的大不況を周期的に発生させる危険をはらんでいる、と考えるようになったのです。
実はアダム・スミスも、市場で好き勝手に行動してよいとは考えていませんでした。スミスの自由放任論や「見えざる手」の予定調和論の前提には、「人は利己的だが、道徳に基づき、自分を公平な目で見ることができるから自己規制できる」という考えがあったのです。
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