日増しに高潮していく反政府運動に、軍の投入がささやかれ始めた1987年6月20日。国民運動本部は4.13護憲措置の撤回やこれまで拘束された思想・政治犯の釈放、集会・デモ・言論の自由の保障、催涙弾使用の禁止という4項目を要求する。それでも全斗煥政権は認めず権力に固執し、結果、国民運動本部は6月26日に平和大行進を敢行した。 全国33都市240カ所、20万人以上を集めた国民の抗議活動に対し、全斗煥政権は武力で鎮圧しようとした。しかしこのとき、アメリカのレーガン大統領が「1980年の光州事件のように、軍は絶対に投入してはならない」と韓国政府に警告していた。さらに1988年の開催を控えたソウル五輪について国際オリンピック委員会(IOC)が「このような動乱が続けば、開催都市の変更もありうる」と韓国政府に通告した。ようやく事態の深刻さを痛感した全斗煥政権と与党・民主正義党は、大統領直接選挙を認めた「6.29宣言」の発表へと追い込まれた。
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