韓国の民主化「栄光の6月」を台湾の学生が学ぶ 1987年以降の民主化の過程をともにする韓国と台湾

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これに在野勢力や野党は強く反発した。この強い反発には、伏線があった。1987年1月、ソウル大学の学生・朴鍾哲(パク・ジョンチョル)氏が警察の取調中に水拷問を受け死亡したが、これを当局は徹底して隠蔽しようとした。事件の残忍さと権力側の道徳性の欠如に対し、国民は怒りを募らせていたのだ。とくに朴氏と同年代の子どもを持つ親は、「わが子も親が知らないまま無実の罪で警察に連行され、拷問で殺され、死体さえも隠されるのではないか」と恐怖を覚えていたという。

そんな声を背景に、全斗煥政権に対抗するために政界や宗教界、学生たちを中心に「民主憲法争取国民運動本部」(国民運動本部)が結成される。民主化運動の団体が結集し、大規模な反政府運動を行うことを決定。1987年6月10日にデモを決行した。その前日の9日、李韓烈氏が催涙弾を受けて重体となった。反政府運動側はこれを受け、6月18日を「催涙弾追放の日」として大々的なデモを実施、これは全国14都市で約24万人へと拡大した。

報道規制をくぐりぬけた写真と版画

催涙弾を頭部に受けた直後の李韓烈氏と抱きかかえるイ・ジョンチャン氏。この写真は韓国の民主化闘争のシンボルとなった(写真・Tony Chung、朱立熙提供)

「それまでデモをしていると警官隊が発射した催涙弾が身体に当たってしまうことはよくありました。韓烈さんに当たったときも、『すぐに回復するだろう』と思っていたのです。でも、彼はそれから目を覚ますことがなかったです」と李館長は振り返る。この後、李館長ら学生たちは、李韓烈氏が運ばれた病院につながる道を封鎖されないように守ったという。これには理由があった。

前述した朴鍾哲氏水拷問事件では、警察当局による隠蔽工作で、遺族はわが子の遺体さえ自分たちで葬ることなく警察当局によって処理されてしまった。死因も当初、警察当局は「机をトンと叩いた瞬間、オッと言って倒れた」ことによるショック死だと稚拙な説明を繰り返した。「当時のような隠蔽工作がなされて、われわれが知らないまま韓烈さんがどこかに移されるかもしれない。それだけは阻止したかったのです」(李館長)。

「李韓烈さんの写真は、当時の政府とメディアとの報道指針によって報道されませんでした。ところが、6月9日にロイター通信が写真を配信し、それが韓国にも広がりました。そのため、韓烈さんが写ったその写真を版画にして印刷し、これを大量に配布しました。多くの市民がこの版画を入手して、自分の胸の前に置き街頭に出てデモを行うようになりました」。彼の写真は6月民主抗争のシンボルとなったのだ。

それは、「1月の朴鍾哲氏水拷問事件では真相が明らかにされないことに不満を持っても、当時の政権権力を恐れて強く反対できないまま怒りを胸に隠してきた市民が、李韓烈さんの事件で怒りが爆発して、街に出て抗議しようと決意する契機となったのです」と李館長は説明する。

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