人が見たものより「触った」ものを信頼する不思議 こころの起源が皮膚を世界にさらしたという事実

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視覚情報、聴覚情報、味覚情報は言語で語れる。嗅覚、触覚(体性感覚)を言語で語るのは難しい。どこかで出会った見知らぬ人について、語ることを想定してみる。

「その男は私より10センチほど背が高く、私より痩せていた。面長の顔に縁なしの眼鏡をかけ、紺色のスーツを着ていた」「彼は、私に『君はどこから来たのか』と低い声で尋ねた」「彼は私にキャンディーをくれた。口に含むと甘酸っぱい味がした」

しかし、たとえばその人物の体臭については「タバコの臭いがした」「カビ臭い体臭だった」などと、「たとえ」を引用しないと具体的な表現が困難である。そして、その人物と握手したときの感触も「紙やすりのようにざらざらした手だった」「ふわふわとマシュマロのようにやわらかかった」などと語らざるをえない。

一方で、特に触覚には、それをもたらす相手と自分との人間関係、さらに言えば、自分の経験が大きく影響する。ぼくは不自由なことにヘテロセクシャルな男性だ。視覚的には、怒りをあらわにした大男、魅力的な女性、それぞれが、触覚的には、同じ体温、同じ圧力、同じ摩擦係数でぼくの手に触れても、ぼくの感情は大きく異なる。しかし彼らが赤いシャツを着ていれば、どちらも赤く見え、88鍵のピアノの右端の鍵を叩けば、ぼくに絶対音感があれば、4.2キロヘルツの音が聞こえる。

意識は環境から外からの情報を編集して作られる

視聴覚情報に比べて、触覚は、その個人の個性、意識、無意識双方の経験からもたらされた記憶、それらと強く結びついている。プルーストは、それこそが時の流れを超えて、人生の意義、価値ある芸術を生み出すと主張した。

意識は、環境から外からの情報を編集して作られる。その編集のしくみは、時代や文化の背景によって異なってくる。触覚は個人の歴史と強く結びついているが、一方で意識というフィクションを作るしくみからは自由なのではないか。そのため、触覚をきっかけにして感じられる世界、たちあらわれる無意識は、ときには人間の、あるいは場合によっては生きとし生けるものに共通する世界のなりたちを、ぼくたちに示すのではないだろうか。

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