人が見たものより「触った」ものを信頼する不思議 こころの起源が皮膚を世界にさらしたという事実
皮膚の感覚が人間の創造に関わる
多くの芸術家や科学者が、その創造に際して重要なのは言葉で語られる意識ではなく、意識になる前の何か、ありふれた表現だと直感の大切さを述べている。それでは、その直感はどこから、どのようにもたらされるのだろうか。
マルセル・プルーストの長い小説『失われた時を求めて』(吉川一義訳、岩波文庫)。400字詰原稿用紙で1万枚と言われるこの小説は、ごく一部を除いて、すべて一人称、語り手の「私」の経験と意識の移ろいが書かれている。ぼくのこの本(『サバイバルする皮膚 思考する臓器の7億年史』)は原稿用紙300枚ほどだ。大変長い小説であることがわかっていただけると思う。
その価値を実感するには、面倒でも全巻読むことをお勧めするけど、ここでは敢えてぼくなりに短く内容を書いてみる。
七篇からなる小説の六篇までは、「私」の幼少期から青春期、第一次世界大戦を経た壮年期までの記憶が詳細に語られる。少年時代、別荘地での思い出。思春期、海辺のリゾートでの恋。恋人と結ばれ、やがて恋人の死によって終わる記憶。パリの晩餐会でのブルジョワや貴族のとりとめのない会話などが詳細に描写される。
最終部、第七篇で「私」は圧倒的な啓示を受ける。
「時間の秩序から抜けだした一瞬の時が、これまた時間の秩序から抜けだした人間をわれわれのうちに再創造し、そのエッセンスを感知させてくれるのだ。そうであれば、この人間が自分の感じた歓びを信じるのも理解できる。時間の埒外にある人間であれば、未来のなにを怖れることがあろう?」
「真の人生、ついに発見され解明された人生、それゆえに本当に生きたと言える唯一の人生、それが文学である」
「われわれは芸術によってのみ自分自身の外に出ることができ、この世界を他人がどのように見ているかを知ることができる」
「新たな光が私のうちに射してきた。その光は芸術作品こそが失われた『時』を見出すための唯一の手段であることを気づかせてくれた光のように目覚ましいものではなかったが、その光のおかげで私は、文学作品の素材はことごとく私の過去の人生にあることを悟った」
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