人間の「皮膚」に隠れた壮大すぎる生存戦略の要諦 皮膚研究の第一人者が語る皮膚と意識の密な関係

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しかしぼくは、電脳空間に個人の意識が完全に移行されることは絶対にないと考えている。なぜなら、電脳空間には皮膚がないからだ。絶え間なく膨大な環境情報を感知し脳に送る皮膚という装置があって、個人の意識が作られる。だから個人の意識も絶え間なく変化する。見方を変えれば、個人の意識は個人の皮膚によって個人の身体に付属させられている。個人の意識は皮膚から離れられない。それが人類の進化の結末である。

情報科学の発展はすさまじい勢いで進んでいるし、今は想像できない工学が次々に出現するだろう。しかし皮膚は、場合によっては、それを妨げる存在になるかもしれない。

社会組織の比喩としての「皮膚」

企業や国家が人間の身体の比喩で語られる場合がある。ぼく自身、以前、脳は取締役会、皮膚は営業の最前線で顧客という外部に接する人たち、と書いたことがある。国家の場合には国境が皮膚だろう。外部からの人間や物の出入りには、何かしら制限がある。民主主義という政治形態も、有権者を国籍で囲い込む見えない皮膚で覆われたシステムだ。

インターネットの発展は、企業や国家の「皮膚」を一時的に消滅させることを可能にしてきた。かつてぶ厚い皮膚で覆われた特異な社会の中で非人道的な事件があっても、その全容が明らかにならない場合が多かった。しかし、今では少数者の叫びが国境を越えて世界で共有されうるようになりつつある。暴力を統治手段にする権力者にとっては、インターネットは脅威だろう。そういう観点からすれば、人間社会にあるさまざまな組織の「皮膚」は消えてゆく運命にあるのかもしれない。

そのときに残るのは個人の皮膚である。人類は言語を持つようになり、文字を発明した。その結果、文明が萌芽し、次第にその規模は大きくなり、システムは精緻なものになってきた。その一方でシステムを維持するための権力者にとっての「皮膚」が個人を抑圧するほどに巨大になってきたのだが、外に向かって開かれない「皮膚」の中のシステムは滅びる運命にあるのだ。前世紀、いくつもの異様な社会が現れては崩壊したのが、それを物語っている。そして今、社会組織の皮膚は弱くなってきた。人類は原初の状態に戻るのかもしれない。

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