海外赴任の妻を支える「駐夫」が悩みを抱える事情 日本の仕事を辞めてフランスへ渡った男性たち
妻の渡仏に合わせて、開業していた東京の整体院をたたんだのが、整体師の坂雄一郎さん(43)だ。
国家公務員として働く妻から、海外駐在について聞かされたのは渡仏する1年半前。その後は妻の赴任時期に合わせて、整体師の仕事を店舗型から出張型に少しずつシフトさせた。「開業した整体院をたたむことに躊躇はなかったです」と坂さんは述べる。

フランスでは、1児の父として子育てと家事を主にこなし、主夫として妻の仕事を支えている。空いた時間はパリ市内のサロンで整体師として働く。「挑戦してみたいという気持ちがありました。日本人と欧米人では骨格も違う。整体師としてのキャリアにとっても、プラスになると思いました」と語る。
「前向きな性格」という坂さんだが、渡仏当初は自身の収入がなかったため、気が引ける気持ちはあった。「何かほしいものがあっても、自分だけの判断ではなかなか買えないですから」と振り返る。
任期終了後も、再び妻には海外駐在の任が回ってくる。そのため、今後もこのスタイルは続けるつもりだ。「こういう機会をくれた妻には感謝しかない」と坂さんは笑顔で話す。
大学を辞めて現地で研究に専念
大学での職を辞して妻に帯同したのが、首都圏の大学でフランス演劇や舞台批評の講師を務めていた堀切克洋さん(37)だ。妻は坂さんと同じく国家公務員。夫婦共にフランスへの留学経験があるため、パリでの生活に対するハードルは低かった。
妻からパリ赴任の話を伝えられたとき、大学から離れることで、今後その方面で職を得る可能性は低くなるかもしれないと思ったという。子どもが幼かったため夫婦お互い単身での生活も頭になかった。
「赴任に反対する気持ちはありませんでしたが、大学の職を探すために手伝ってくれた人や、若手研究者として連載機会を与えてくれていた新聞社などへ、断りを入れるのは心苦しかった」と述べる。
大学での教職は研究以外の職務も多く、自らの研究に十分な時間を割けないということはよく言われる。堀切さんもその状況を、学生時代からつぶさに見てきた。「大学に残ることは研究者として本当に幸せなのかと考えたときに、そういう意味では今回の帯同はいい転機だったのかもしれない」と前向きに捉えた。
東京にいた頃は共働きだった。娘の保育園は妻の職場に設置されていたが、送り迎えはほぼ半々。勤め先は千葉や神奈川など都心から遠く、夜には劇場での仕事もあったため夫婦ともに激務だった。
家事も夫婦で細かく分担を決めて、少しでも全体の時間が無駄にならないようにやりくりを考えた。当時は非常勤講師を掛け持ちしていたため、休む時間をまったく取れなかったそうだ。
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