アメリカの同盟国であり、台湾と地理的に近接する日本もまた、台湾有事における対応を曖昧にしてきた。だがここで特筆すべきは、日本の曖昧性はアメリカのそれと本質的に異なり、北京・台湾それぞれに向けた「二重の抑止」を目指した戦略に基づくものではないということだ。
冷戦時代、この議題が国会で議論されることはあっても、その焦点は台湾有事におけるアメリカの在日米軍基地使用を認めるのかという議論が中心だった。日米同盟における事前協議制度について本稿で詳しくは扱わないが、現行の日米安保条約では、もしアメリカ政府が台湾での「戦闘作戦行動」のために在日米軍基地を使用する場合、日本政府への事前協議が求められており、その際日本の立場は「イエスもノーもありえる」というのが政府の見解だ。
日中国交正常化の2カ月後である1972年11月に発表された政府統一見解において、当時の大平正芳外相は、台湾有事における日米安保条約の運用について「わが国としては、今後の日中両国間の友好関係をも念頭に置いて慎重に配慮する所存」であると述べた。
玉虫色の統一見解
しかし当時の外交資料によれば、日本政府は即座にアメリカ政府に対して、この「をも」という助詞に注目するよう訴え、「日米関係の重要性はわが国にとって最も重要であり、安保条約の運用にあたってはこの点を第一義的に考慮する」と説明した。台湾防衛をめぐる日米同盟と対中外交の対立をくぐり抜けるために作られた、まさに玉虫色の統一見解だった。
冷戦後、日米ガイドラインの見直しに伴い周辺事態法が制定された際も、日本が米軍への後方支援を行う「周辺事態」に台湾有事が認定されるか否かはあくまで事態の性質によるという答弁がされてきた。
日中国交正常化交渉に携わった外交官、故・栗山尚一氏は回顧録でこう語っている。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら