この失敗以後、「アメリカではビッグサイエンスはもうできないのではないか」と囁かれるようになります。安全保障や国際政治における覇権争いにもつながる分野は別として、純粋にサイエンスの成果を目指すビッグサイエンスを、アメリカに期待することは難しくなってきていたのです。
冷戦終了後という時代背景に加え、大統領選で大統領の科学技術政策が大きく異なる状況で、大統領が変わると方針が変わるようでは、長い年月をかけて建設、運営するビッグサイエンスは、とても運営できないであろうと、多くの科学者が考えるようになりました。今のアメリカは、大型施設を使用する物理系のビッグサイエンスには非常にシビアで、アメリカが主体となるビッグサイエンス成果は非常に限られています。
しかし、こうした問題はアメリカに限らず共通です。そこで、世界でビッグサイエンスの未来を探る議論が始まりました。特に2003年にアメリカエネルギー省が発表した「Facilities for the Future of Science -A Twenty-Year Outlook-」というレポートは注目を浴びました(注:リンク先は2007年の改訂版)。
ここでは28の大型施設の優先順位を1位から順につけるという、驚くべきものでした。なぜなら、多くの異なる分野を一緒に評価し、順位づけることはとても困難なことであると思われたからです。
評価は数年ごとに行われ、進捗に応じて評価が変わると同時に、政治的意図も織り込まれていると聞きました。このレポートが発表された当時、私もビッグサイエンスに新しい時代が来たことを感じ、仲間たちと議論しながら見た記憶があります。
ビッグサイエンスのマスタープラン
日本は科学技術政策の大きな方針は各党とも大きな差異があるとは言えず、必要なものは超党派で進めよう、という雰囲気があります。アメリカと比較すると、安定的にビッグサイエンスを運営する素地があると国際社会から認められていました。しかし蓮舫ショックによりビッグサイエンスに見通しをつけて進める必要性を多くの科学者が痛感しました。さらに近年にいたっては、日本も経済的に苦しい状況と予算削減が続き、これまでには考えられないような大型装置の運転資金難に見舞われるようになってきました。
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