強制着陸で逮捕されたベラルーシ活動家の「命運」 ロシア人交際相手と休暇を楽しんだ後捕まった

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育ったのは、ミンスク郊外にある名もなきコンクリートの高層集合住宅だ。父は軍人、母は軍のアカデミーで数学の教師をしていた。一流校として名高い高校で学び、ロシアの科学コンテストでの受賞歴もある。

ところが高校での1年目が終わった夏、友人と公園のベンチに腰かけ「拍手デモ」を見ているところを警察にしょっ引かれた。拍手デモとは、禁じられた言葉を一切口にすることなく政府に抗議するため、フラッシュモブのようにして手をたたくゲリラ的抗議活動だ。息子はただ見ているだけだった、とプロタセビッチの母ナタリアは取材に語った。

「このとき、自分の国で起きている蛮行の一部始終を初めて目の当たりにした」。プロセタビッチは2011年にユーチューブに投稿した動画でそう語っている。

「これはごく一部の例にすぎないが、女性たちがOMON(特別任務民警支隊)の大柄な機動隊員5人に打ちのめされ、子どもを連れた女性が警察車両に投げ込まれた。へどが出るような光景だった。あれを目にしてから(自分の中の)すべてが根本から変わった」

移住先のポーランドでの「活動」

警察に連行後、治安当局はある書面を高校に送付した。プロセタビッチは退学処分となり、母ナタリアの話によると、ほかのどの学校からも転入が認められなかったため、半年間の自宅学習を強いられたという。

「16歳で退学処分になるのがどういうことなのか想像してもらいたい」とナタリア。息子を反体制運動に駆り立てた「この出来事、この不当な扱い、この屈辱。こうして息子は16歳にして活動家になったのです」。

ロマン・プロタセビッチはベラルーシ国立大学でジャーナリズムを学ぶが、またしても当局と衝突。学位の取得を阻まれ、フリーランスの記者としてさまざまな反体制メディアで働くようになる。短期間の拘束・投獄を何度も経験したことからポーランドに移住。同国の首都ワルシャワで10カ月間、プツィラらネクスタのメンバーと、ルカシェンコに批判的な動画や漏洩文書、記事を広める活動を行った。

その後、ベラルーシ国内で活動したほうがより大きな影響を与えられると確信し、2019年にミンスクへと戻る。が、ルカシェンコが2020年大統領選挙への足場固めを進める中、国内政治情勢の重苦しさは強まる一方だった。

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