「自由にものが言えるから」自民党に入った政治家 わずか65日の石橋湛山政権をいま問い直す意味
ではもし、湛山の健康状態が退陣するほど重くなかったら、日本はいまとは違う歴史を歩んでいたのでしょうか。想像するしかありませんが、アメリカに依存しすぎず、日本のさらなる成長のため、そして、世界のために中立な立場で、経済大国としての責任を果たしていたのでしょうか。
湛山は、台湾を巡って米中対立が激しくなった1959年。すでに75歳という高齢になっていましたが、国交のなかった中国と日本が独自の関係を構築することで、その冷戦構造を打ち破れるのではないかという思いを胸に中国に訪問するなど、その生涯を通じて「日本のため」「世界のため」という思いを貫きました。
船橋氏も、「外交が、お互いそれぞれの功利を積み上げていくのだという観点で見ると、いま、日本は対中貿易が全体の21%ぐらいと経済ではとても深い関係です。中国との経済関係はなんとか安定させたいが……」と、アメリカとの強い関係を保ちながら、中国との関係も深めていくことの難しさを、言葉の端々ににじませました。
政治にも言論があるべき
日本がどうすべきだったのかは、この先の歴史がその賛否を判断するのでしょうが、石破氏は最後に、「こだわるようですが、やっぱり言論人としての湛山先生は、政治にも言論があるべきだということをずっと貫かれていたと思うんですよ。岸先生に対して怒ったのは世論をちゃんと見ろと。議会でちゃんとした議論のかみ合った応酬がなければいけないんじゃないかという思いがあったと思うんです。言論人として絶対に権力に迎合しちゃ駄目だと。政治家になってもその志が貫かれているところに石橋総理の意味があるのではないかと、浅薄な理解かもしれないけれども思いますね」と、わずか65日の短命政権に終った石橋内閣が存在した意味を語ってくれました。
船橋氏はこのパネルディスカッションの最後を、「言論の力を信じ、それを政治に生かそうとした。言論の力で、真剣勝負で、世の中に訴えて、国民に訴えて、新しいアジェンダを設定する。そのような政治が、今の日本にどれだけあるのだろうか」と、私たちに疑問を投げかけつつ、締めくくりました。
わずか65日しか存在しなかった石橋内閣ですが、その国民と向き合う姿勢から、現代の私たちに大きな課題を与えてくれているような気がします。
とくに、昨年から続くコロナ禍で、私たちの日常は大きく変化し、政治の力をより直接的に感じながら生活しています。だからこそ、「政治に興味がない」「選挙は面倒」はたまた「総理大臣なんて誰がなっても同じ」なんて思っていてはいけないのかもしれません。だって、私たちの判断が、コロナ後の政治のあり方、社会のあり方を決めることになるのですから。
今年は、総選挙の年です。遅くても、菅総裁の任期が満了を迎える9月には、私たちの判断が政治に生かされるそのタイミングがやってきます。もっと政治家の声に耳を傾け、その真意を探ってみようと思います。そして、日本のこと、世界のことを真剣に考え、本気で私たちにその思いを伝えようとしている政治家がいるのか、いないのか。いるとすれば、それは誰なのか、探してみようと思います。
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら