現代人が今、ケインズ「一般理論」を知るべき理由 池上彰×山形浩生「教養としての経済学」対談
山形:ロバート・スキデルスキーという有名なケインズ学者が、3巻のケインズ本を書いているのですが、ここにはいろんなエピソードが載っています。
それを読んでいるから、超訳や解説に役立ったというわけではありませんが、ケインズの世界観の背景にあるものは多少わかるところがありました。
例えば『平和の経済的帰結』という話では、ドイツの賠償金について論じたケインズが、「よし、これでドイツ・マルクの為替の動きを見切った!」と考えて、FXに手を出して大損するというお笑いのようなエピソードがあるんです。
そうなると、ケインズが「株式市場は博打だ」と言っているのは、あの経験から出てきたんだろうなと想像できるわけですね(笑)。
国とはなにか、国民とはなにか
池上:モナコで博打をやって、スッテンテンになって帰国できなくなってしまい、イギリスから送金してもらったというエピソードもありますよね。株でかなり大失敗もしているし、大成功もしている。
山形:晩年は落ち着いていますが、若い頃はやりすぎて、お父さんに尻ぬぐいしてもらっていました。でも、そんなふうにリアルに追究する経済学者はあまりいませんよね。
また、『一般理論』では、公共投資は純粋に国が出しなさいという一方で、ピラミッドやお寺などの文化的なイベントについてはちょっと茶化した書き方になっています。
ところが、晩年のケインズは、文化支援をかなりやっているわけです。雑文のなかにも、国はお金を回すだけではなく、戴冠式など大きなイベントをきちんとやることも機能のひとつで、そこにはケチらずにお金を出そうということもしっかり書いているんですよ。
単純に、数式上のお金を出す出さないというだけではないですし、広い意味で、国とはなにか、国民とはなにかという思想になっているんですよね。