やたら敵作る「徳川慶喜」期待を何度も裏切る真意 開国派なのに暴言吐いて攘夷望む朝廷側で奮闘
ただ、そうかといって、慶喜のこの大胆な行動が、幕府内部で支持されたわけではない。もともと、参与会議に加わった時点で、幕府内での慶喜の求心力は低下している。慶喜はいつも周りを敵ばかりにする。それでも、しばらくすれば皆が寄ってくる。それもわかっていたのだろう。
慶喜が目指したのは、あくまでも自分が中心となった、これまでにない枠組みだ。そういう意味では、慶永に「創業」と語った言葉には、うそがなかった。
慶喜は、前から辞表を出していた後見職を正式に辞任。元治元(1864)年3月に禁裏御守衛総督に就任する。これは朝廷を守る役割であり、大胆な転身を図ったといえよう。
立場が変わっても目指すものは同じ
目まぐるしく変わる慶喜の立場。それでも目指すのはいつも同じで、自分が中心となった「創業」である。
同年7月に長州藩がかつての勢いを取り戻すべく、京に出兵してくると、薩摩藩の強兵がこれを撃退(禁門の変)。負けじと慶喜も禁裏御守衛総督として活躍して、存在感を発揮している。
そう、慶喜からすれば、参与会議での大暴れは、薩摩藩との第1ラウンドにすぎない。ここから正念場だ。御所で戦闘をした長州に対して、孝明天皇が激怒。長州が「朝敵」となると、ついに長州を征伐するべく、慶喜は動き出そうとする。
これで長州を制圧できれば、その後も、徳川家が変わらず政権を掌握しながら、日本の政治は慶喜を中心に回り始めたことだろう。すでにそのきざしはあった。
だが、慶喜の前に、強大な壁が立ちはだかる。それは、薩長同盟である。
(第5回につづく)
【参考文献】
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
家近良樹『徳川慶喜』(吉川弘文館)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜将軍家の明治維新増補版』(中公新書)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(講談社)
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