聡明ゆえ迷走?批判多い「徳川慶喜」不憫な境遇 朝廷と徳川の血を引く強みと弱みを一挙に露呈

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きわめて開明的な考えである。攘夷の風が吹き荒れる当時に、ここまで大局観を持っていた人物は、それほど多くはなかったかもしれない。

思いをぶつけた相手は、越前国福井藩16代藩主で、政事総裁職を務める松平慶永(春嶽)である。慶永はこの未曾有の危機を脱するには、江戸城の中心に優秀なる君主を据えなければならないと考え、これまで慶喜を支持してきた。それだけに、本音が見えない慶喜にやきもきしてきたことだろう。ようやく慶喜の考えを聞けて、さぞ心震えたに違いない。

しかし、である。攘夷を推し進めたい長州と土佐の両藩士が朝廷に働きかけ、三条実美と姉小路公知らが京を出て、江戸にやってくることになると、慶喜の様子がなんだかおかしくなってくる。

朝廷からの使いが来る――。そうなると途端に、慶喜に迷いが出始めてしまう。本音が開国であることには変わりない。だが、攘夷の建前を捨てて朝廷に歯向かうべきかといえば、態度を決めかねるものがあった。亡き父、斉昭から聞かされていた言葉を、慶喜は反芻していたに違いない。

「朝廷に向かって弓引くことあるべからず。これは義公以来の家訓なり。ゆめゆめ忘るることなかれ」

義公とは、水戸藩第2代藩主、徳川光圀のこと。そうでなくても、慶喜は母から朝廷の血を受け継いでいる。朝廷から攘夷要請を受けると、慶喜は拒否できずに同調。おまけに、その後、老中に「将軍後見職から辞退したい」という旨を申し入れている。

やはりよくわからない慶喜の行動

どうして辞めてしまうのか、とも思うし、仮に辞めるつもりだったならば、開国論を貫いてもよかったのではないか。慶喜に期待する支持者ほど困惑したことだろう。

父の死を契機に覚醒したかと思いきや、やはりよくわからない慶喜。将軍後見職の辞職については、慶永から翻意を促されて、一度は撤回するが、しばらくしてまた老中に辞表を出すなど、かなり精神的に不安定である。

肝心なときに、腰が定まらない慶喜に、慶永は深く失望したらしい。「決断力がなく弱弱しい(不決断柔弱)」と激しく非難している。同じく一橋家を支援してきた前土佐藩主の山内豊信もあからさまに落胆した。

「英主と思いしが、違いたり(優れた君主と思ったが違った)」

散々期待させておいて結局は失望させる男、慶喜。ただ、慶喜からすれば、支持者たちはいつも「自分に勝手に期待しては寄ってきて、失望しては離れていく人たち」だったのかもしれない。

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