聡明ゆえ迷走?批判多い「徳川慶喜」不憫な境遇 朝廷と徳川の血を引く強みと弱みを一挙に露呈
深夜に8人もの公卿が慶喜邸に押しかけてくることもあったというから、ノイローゼになりそうである。矢のような催促を受けて、 慶喜はやむなく攘夷の期日を決めるための議論に応じることになる。3月に将軍の家茂が上洛すると、家茂も標的となり、京都の三条大橋には、家茂と慶喜を威嚇する文書が張り出された。
あまりにうるさいために、慶喜は攘夷の期日を、5月10日に定めている。最終的に日付を確定したのが、4月20日だったことを思えば、随分と急である。どう考えても無理な約束をさせられるのだから、開明的な考えを持つ者ほど、つらい展開だったに違いない。
先に投げ出したのは慶永だった
やってられない――。先に投げ出したのは、慶永である。慶永は辞表を提出し、朝廷の許可もないままに、3月下旬の段階で郷里に帰国している。
京で激しい逆風の中、若き将軍にも頼れず、孤軍奮闘した慶喜。だが、4月22日に江戸に戻れば、今度は老中や諸役人たちから「将軍が上洛する前に、勝手に攘夷の期限の問題に応じた」と激怒され、猛烈な批判にさらされている。
こんな目に遭いながらも、なぜ自分はこれほどみなを怒らせてしまうのだろう。もはやそんな失望しか、慶喜にはなかったのではないか。慶喜はそれっきり、江戸城で活動らしい活動をすることもなく、5月から6月にかけて、将軍後見職の辞職願を提出している。
もう幕府にかかわるのはうんざりだ。そんな気持ちになったことだろう。それならば、いっそ……と慶喜は次にどう考えたか。その目の先には、朝廷があった。
(第4回につづく)
【参考文献】
徳川慶喜『昔夢会筆記―徳川慶喜公回想談』(東洋文庫)
渋沢栄一『徳川慶喜公伝全4巻』(東洋文庫)
家近良樹『徳川慶喜』(吉川弘文館)
家近良樹『幕末維新の個性①徳川慶喜』(吉川弘文館)
松浦玲『徳川慶喜将軍家の明治維新 増補版』(中公新書)
野口武彦『慶喜のカリスマ』(講談社)
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