臓器提供「コロナ禍で激減」の中に見えた課題 大事なのは臓器提供者とその家族の尊厳
同調査に寄せられた、ドナー家族の思いはさまざまだ。一部を抜粋する。
「何よりも本人の希望でしたから、誰かの役に立ちたいといつも言っていました」
「提供させていただいた方々が、生存しているということを思うとよかったな……と思います」
「複数人に提供され、中には社会復帰をされた方がいると報告があった。私たち家族にとって慰めにもなり、喜びにもなり、安心にもなる」
「大きな偉業を成し遂げたとかそんな感じではなく、シンプルに財布が落ちていたら届けるような人として当たり前のささやかな親切ができたと思っています」
「臓器提供をすると決めて初めて、脳死状態の娘から生命維持装置を外す決断ができたと思う」
「後悔したくない。納得するしかない」
一方で、すべてのドナー家族が臓器提供したことを十分に納得しているわけではない。
「(臓器提供は)母の希望ではあったが、全身に痛々しい傷を入れて本当によかったのか……」
「今さら、臓器提供しないほうがよかったなんて後悔したくない。子どもの意思だから、助かった人がいるのだから、納得するしかない。正直、わからない」
「意思表示カードに(臓器提供)の記載はあったものの、直接本人から提供の話を聞いていたわけでもなく、お医者様から選択をお願いされたとき、隣にいた父は決断できず、結局、私一人で決めてしまい、本当にこれでよかったのかといまだに悩みます」
「主人のお陰で救われた命があったのはよかったと思う。でも、主人が戻ってくることはないし、本人の選択ではなかったので、この選択が正しかったかはわからない」
日本臓器移植ネットワークは、臓器提供の意思表示を健康保険証、運転免許証、マイナンバーカード、それぞれに直接、記入する方法に加えて、ウェブサイトを通じても意思を登録できるようにしている。
しかし、現実は8割程度の事例が本人の意思表示がない中で家族が臓器提供を決断しているという。本人なら臓器提供をどう考えたか、生前の何気ない会話や性格、考え方などをたどりつつ、家族1人ひとりの考え方をぶつけ合いながら、家族の総意として提供するかどうか、愛する人や子どもの前で結論を出すことになる。
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