服を買い放題だった私が抱いた「底知れぬ不安」 「買わない生活」と「キラキラ」の悩ましい関係

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……で。ということはですよ。

よく「食っていくためには働かなきゃいかん」って言いますよね。私も会社との付き合いにウンザリするたびに結構口にしていたんだが、実際には、自分1人が食っていくために必要なお金なんぞ、月に2万円もあれば余裕で十分だったのだ。

いやー私、この事実を知って俄然強気になったね。だって月2万円くらいなら、私のように特段の金を稼ぐスキルをほぼ持ち合わせない人間であったとしても、そこそこラクに稼げそうな金額ではないか?

ってことは、少なくとも会社を辞めたくらいで「食べていけるか」どうかを心配する必要なんてない。つまりは、会社を辞めるってことをそんなに怖がることもないんじゃ?

……と、小躍りしたんだが。

人生とはそれほど単純ではなかった。

この朗報にホッと一息ついた途端、たちまち、別の懸案がムクムクと頭をもたげてきたのである。

確かに、きっと食ってはいける。

しかし人生とは、食っていければそれでよいのだろうか?

人生後半戦をコソコソ生きる恐怖

何しろ私、50歳で会社を辞めようとしているのだ。人間いつまで生きられるかは誰にもわからんが、平均寿命から考えてもまだ先は長い。残り30年としても、その間、延々と最低限の暮らしをし続けるって、どうなんだ。ボロボロの小さなアパートで、来る日も来る日もモソモソと地味なものを作って食べ続けて生きながらえる私って……いったいなんのために生きているのだろう? 

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