説明会応募でも学歴フィルターがある。企業はすべての学生を平等に扱うと表明しているが、企業へのアクセスに膨大な時間をかけざるをえない学生が気の毒に思える。
「説明会に応募できない」(名城大学・文系)
「説明会に参加しようとしたら満席と表示されている」(龍谷大学・文系)
「説明会のお知らせが来てすぐに開けたのにすべて満席になっていた。東京の同じくらいの偏差値の友達が受かっていて、関西の大学である自分が落ちた(知名度の低さ)」(甲南大学・文系)
”就活エリート”の証言も
以下の証言は上位校の学生ばかりで、いわゆる就活エリートだ。かれらにしか開かれていない選考プロセスが存在することがよくわかる。
「選考の中で会う就活生がMARCH以上しかいなかった」(中央大学・文系)
「選考でしくじったと思ったが何事もないように次に進んだ」(九州大学大学院・理系)
「他の選考に参加している就活生が大体旧帝大、早慶上理」(東京理科大学大学院・理系)
「インターンの参加者が旧帝大、早慶のみだった。また、学歴のみ登録している就職サイト経由で優先選考の案内が来た」(東北大学・理系)
ここで学歴について少し考えてみたい。学生が感じる学歴フィルターとは選考プロセスでの有利不利を指し、同時に採用の合否を意味している。そして、旧帝大や早慶上理などの大学間(ヨコ)のランキングによってフィルターがかけられる。しかし、元々の学歴は、最終学歴(タテ)を意味し、小中高にはじまり、大卒という序列があった。その学歴によって就職、昇進が決定されることを指している。
当たり前だが、江戸時代に学歴はない。士農工商という身分制度があり、生まれたときから身分・階級は固定されていたからだ。
明治になって封建的な身分制度は廃止される。そして福沢諭吉は『学問のすすめ』を書き、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という有名なことばを冒頭に置いた。続けて、「人は生まれながらにして貴賎貧富の別なし。ただ学問を勤めて物事をよく知る者は貴人となり富人となり、無学なる者は貧人となり下人となるなり」と書いている。
つまり、貴賎貧富は学問のあるなしによって決まる、だから学問に励むべし、と福澤諭吉は主張した。明治時代の大学進学者の多くは没落した士族の子弟だったが、失った身分を学問によって取り戻そうと努力したのだろう。
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