武装闘争に突入「ミャンマー」国軍の残忍な手口 武器を持たない通行人や子どもまで殺害された

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ミャンマーでは、別の形の抵抗も続いている。大規模な市民不服従運動で経済をマヒさせ、24日には全国一斉ストライキで各都市のビジネスを停止に追い込んだ。デモに参加すると撃たれる可能性があるので、その身代わりとしてぬいぐるみの動物や折り紙の鶴を抗議の列に並ばせるという、とんちをきかせたデモも見られた。

だが、そのような抵抗では十分ではなく、国軍には武力で反撃しなくてはならないとの認識が強まっている。3月半ば、クーデターで議会を追放された国会議員の一部は、国を救うには「革命」が必要だと訴えた。自らを正統な政府と位置づけ、「連邦議会代表委員会(CRPH)」を結成した追放議員らは、多数派のビルマ族だけではなく、さまざまな民族を包摂する「連邦軍」の形成を呼びかけている。

「外交に失敗し、殺害が続くなら、ミャンマーの人々は自分で自分の身を守らなければならなくなる」とCRPHで広報や対外交渉を担う医師のササ氏は語った。同氏は反逆罪で指名手配され、逃亡中の身だ。

ミャンマー国軍の戦争犯罪

このような運動はいずれ、過去60年の大半にわたってミャンマーを力で支配してきた国軍とぶつかることになる。国軍の残虐性は悪名高い。クーデターを主導した国軍の最高司令官ミン・アウン・フライン上級大将は、村という村を標的に「掃討作戦」を繰り返し命じてきた。その最たる例が、イスラム教徒ロヒンギャの民族浄化だった。

血も凍るような国軍の暴力装置が各都市に投入されたことで、ミャンマーは震え上がっている。国軍は民主化運動のリーダーらを投獄し、10年にわたる政治・経済改革の成果を消し去ろうとしている。

軍事クーデター以降、抗議運動を行う若者がいきなり頭部に銃弾を撃ち込まれ、何十人と射殺されてきた。治安部隊は住宅の中へと無作為に発砲し、住民を奥まった部屋で縮み上がらせている。23日には、マンダレー市内の自宅で父親の膝の上に座っていた7歳の少女が撃たれて死亡した。父親を狙った治安部隊の巻き添えになったとされている。翌24日、数週間拘束されていたデモ参加者が何百人と釈放された。

国軍は国際法を無視し、戦争犯罪に手を染めている。治安部隊は救急車に発砲し、拘束したデモ参加者などに拷問を加えている。このような蛮行を考えれば、もはや自ら武器を手に取って闘う以外に選択肢は残されていない、とミャンマー民主化活動の最前線に立つ人々は話す。

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