五輪「侮蔑演出」の辞任劇が違和感だらけのワケ 広がる波紋、個人の辞任で終わらせていいのか

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「オリンピックではNG」で「バラエティならOK」というダブルスタンダードが本当に正しいのか。それは本当に世界のスタンダードであり、合わせていくことが本当に進んでいるのか。これらの違和感を抱く人々が声を上げづらい世の中になってしまっているのです。

さらに違和感を抱かせているのは、佐々木氏の発言が公式の会議でもコメントでもないうえに、「アイデアを出し、よくないものを削ぎ落していく」という初期段階だったこと。佐々木氏のケースはさておき、クリエイティブ系の現場では、新たなものを生み出すために、間違いや批判を恐れずに発言することが推奨されているのです。

これは間違いや批判を恐れていたら、どこかで見たことがあるような無難なものばかりになってしまうから。佐々木氏以外のメンバーも間違った提案をしていた可能性はありますし、「この段階だから許し合いましょう」という了解のうえに成立している場なのです。

はたして、アイデアを出し合ったグループLINEでの発言を猛批判し、個人を辞任に追い込むことが世界のスタンダードなのでしょうか。もしそんな窮屈なスタンダードだとしたら、日本は本当に追随すべきなのか疑わしいのです。

超不寛容社会への進行が止まらない

最後にふれておきたいのは、「超不寛容社会への進行が止まらない」という厳しい現実。

すぐに撤回し、謝罪、反省しても許されない。それが過去のことであったとしても許されない。そんな超不寛容社会が進むほど、失われるのはクリエイティビティーだけではありません。「失言を恐れて同僚と軽口すら叩けない」「友人ですら警戒して気楽に話せない」など、人間のコミュニケーション自体が減っていくでしょう。

そうなってしまうと、距離感が縮まらず孤独感を覚えやすくなるとともに、小さな失言がより気になるようになり、互いをますます攻撃し合うようになっていきます。個人の軽率なミスを寄ってたかって責める社会でいいのか。撤回、謝罪、反省を受け入れない社会でいいのか。そろそろ本気で考えなければいけない時期に来ているような気がしてならないのです。

木村 隆志 コラムニスト、人間関係コンサルタント、テレビ解説者

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きむら たかし / Takashi Kimura

テレビ、ドラマ、タレントを専門テーマに、メディア出演やコラム執筆を重ねるほか、取材歴2000人超のタレント専門インタビュアーとしても活動。さらに、独自のコミュニケーション理論をベースにした人間関係コンサルタントとして、1万人超の対人相談に乗っている。著書に『トップ・インタビュアーの「聴き技」84』(TAC出版)など。

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