五輪「侮蔑演出」の辞任劇が違和感だらけのワケ 広がる波紋、個人の辞任で終わらせていいのか
もし今回の件で渡辺さんの仕事が減ってしまったら誰が責任を取るのか。もし損害賠償を求めるとしたら佐々木氏ではなく、リークした人でしょうし、さらに言えば、あおるように報じたメディアなのかもしれません。
そもそも、体形や自虐ネタを売りにしたい芸人がいてもいいし、一般人の中にも「腫れ物に触るような扱いをされると困るし、むしろふれてもらって構わない」というスタンスの人もいるでしょう。各種ハラスメントと同じで、あくまで個人の問題だけに、やはり今回の件は渡辺さんの声を聞いてから「批判するのか、しないのか」を決めるのが適切だったのです。
五輪開催の是非に関連づける強引さ
3つ目の違和感として挙げておきたいのは、佐々木氏への批判から「オリンピック開催なんてけしからん」「中止すべき」という流れにつなげようとする強引なムード。「もうオリンピックなんてやめろ」という声を上げる人も、「呪われた五輪」「また女性差別か」などと報じるメディアも短絡的かつ示唆的なものを感じてしまうのです。
佐々木氏の発言と、開催の是非はまったく別の話であり、もっと真剣に議論を進めるべきことは多々あるはず。しかも今回のグループLINEは、1年以上前の昨年3月5日に送信されたものでした。告発者が本当に「問題アリ」と思ったのなら1年前に言うこともできたはずですし、「クローズドな場の発言」「すぐ撤回した」からスルーしたのではないでしょうか。
もともと「過去の話を持ち出してわざわざ問題視する」のは、政治家から芸能人まで、権力者や成功者を引きずり下ろしたいとき、あるいは、組織にダメージを与えたいときの常套手段。やはり、「森喜朗氏の騒動に便乗した個人的な恨み辛みか」、それとも「オリンピック開催を阻もうとする人々によるものなのか」という疑念を抱いてしまう人がいるのは当然なのです。
また、森喜朗氏の騒動時から、「オリンピック絡みだからこの発言はNG」「それが世界のスタンダードで日本は遅れている」という声が、もはや当たり前のように飛び交っていますが、今回の件は該当しづらいところがあります。
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