病院を襲った津波、遺された者たちの深い葛藤 静岡のJCHO病院はなぜ浸水地域に移転するのか
逃げても、逃げなくても苦しむのだったら、その判断を個人にゆだねるのは酷ではないか。みんな、口では「自分の命を優先しなさい」と言うが、それが確固たる指針やマニュアルなどのかたちで意思統一されない限り、こういった悲劇は繰り返されるだろう。そんな思いを打ち明けた。
「港から250メートル」の場所に移る静岡の病院
病院が災害に見舞われたとき、医療従事者は自らの命とどう向き合ったらいいのか。その答えを探しても、堂々巡りに陥る。そんななかで唯一、回避する方法があるとすれば、海辺に病院を置かないことなのだ。
鈴木副院長の妻の裕子さんは、震災後に石巻市内の自宅を引き払って仙台に移り住んでいる。2015年10月、2人の子どもと一緒に、市内にカフェ「TiTi」をオープンした。「ティティ」と読むが、店名を決めてから気が付いた。「チチ(父)」とも読めることに。
鈴木副院長が大切にしていた薪(まき)ストーブも持ち込んだ。無類の読書好きだった夫の蔵書の一部を、カフェの本棚に収めた。「3人でカフェを続けられるのは、孝壽さんのおかげ」と裕子さんは言う。
震災から10年を迎える直前、静岡から新聞記者がカフェを訪ねてきた。静岡市清水区にある地域医療機能推進機構(JCHO、尾身茂理事長)の「桜ヶ丘病院」が、内陸部から海岸近くに移転することが決まったのだという。しかも、移転先は津波が想定される浸水区域だ。
裕子さんからその話を聞いた私は、さっそく「現場」を訪ねてみた。JRの東海道本線清水駅東口を出てすぐ目につくのは、東口公園の中心部にある直径12メートルの輪状のモニュメントだ。これを撤去し、公園面積の6割強の4900平方メートルが病院の敷地になる。
移転先となる公園に立って海の方角(東方向)を見ると、石油の備蓄タンクが並んでいる。現在は使われていないというが、その先の海岸線までの距離は、約750メートルだ。すぐ右側(南方向)を向くと港が見える。フェリーの発着場にもなっていて、海鮮丼などを食べさせるマリンパークが併設された魚市場がある。その港の端までの距離は、さらに短く約250メートルしかない。
静岡県が2013年6月に公表した「静岡県第4次地震被害想定」によると、南海トラフ巨大地震や相模トラフによる地震などを想定した津波の水位は、この清水駅付近で2~3メートルになっている。だが、雄勝病院のように、「想定外」の津波に襲われたらどうするのだろう。
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