病院を襲った津波、遺された者たちの深い葛藤 静岡のJCHO病院はなぜ浸水地域に移転するのか

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裕美さんが父の被災時の様子を聞いたのは、だいぶ後になってからだ。みんなを励まし、最後まであきらめなかった。そして、なにより病院に残ったことが父らしい。きっと迷うことはなかったのだろう。父はやはり格好よかった。

でも本音を言えば、どんなことがあっても帰ってきてほしかった。その気持ちは、いまでもぬぐえない。患者を置き去りにした、卑怯者(ひきょうもの)と言われても、生き残ってほしかった。だが、そのことを母にも兄にも、話したことはない。家族の間では無意識のうちに、その話題を避けていたような気がする。

父は医師だ。患者40人が亡くなっているのに、自分が助かったら生涯、苦しむはず。それに寄り添うのは自分や兄より、一緒に過ごす母だろう。その責め苦をふたりで負って生きていくのは残酷すぎる。答えを探そうとすればするほど、迷路にはまって心は乱れる。

父に後悔があるとすれば、津波が迫る院内で叫んだ「屋上へ上がれ!」という指示ではなかったか。職員は、最後まで患者を救うことをあきらめてはいなかった。だが、津波が迫ってくるなか、職員たちの命も守らなければならない。それはすなわち、患者を置いていくということにつながる。父としては、何よりつらかったに違いない。

彼らの葛藤はいまも続いている

私は、震災3日後から被災地に入り、取材を続けてきた。雄勝病院の関係者から話を聞き始めたのは翌年の春からだ。何十回となく雄勝を訪ね、拙著『海の見える病院 語れなかった「雄勝」の真実』において、30人以上の関係者から話を聞いてドキュメントをまとめた。

職員が背負っている闇の深さにたじろいだ。彼らの葛藤は、いまも続いている。

雄勝病院に勤めていた看護師は、震災から5年後の2016年3月、宮城県看護協会が主催する震災関連のフォーラムにスピーカーとして参加を依頼された。「後悔しかないので、フォーラムにはふさわしくない」と一度は断ったものの、「後悔でもかまわない」と説得されて参加を決めた。雄勝病院の元看護師が公の場で発言するのは、初めてのことだった。

彼女は、パワーポイントのタイトルにこう書き込んだ。

「危険が迫ったとき、患者を見捨てた人にならないためには。それを判断する看護師の覚悟」

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