33歳元産経記者が挑む「東北の現実」伝える闘い 住民が「まだ知られていないニュース」を発信
TOHOKU360のデスク、佐藤和文さん(69)は、宮城県の地方紙・河北新報でおよそ40年間、記者・編集者として過ごした。県内の支局や仙台市の本社だけでなく、青森や東京でも勤務。その後はデジタル部門で働き、東日本大震災のときはWebでの報道を指揮した。
「40年の新聞社生活では達成感もあったんですけれども、やり残した仕事も多かった。情報を本当に必要とする人に届けられていたのかということが、特に気がかりで。新聞には情報や価値観とかの多様性が少なかったと感じています。
もちろん、マスメディアのすべてが悪いわけではありません。この10年、古巣の河北新報もつねに震災のことを取り上げてきました。ただ、そこから抜け落ちているものもそれなりにある。これはもう、自分でメディアを立ち上げなければだめだな、と思いました」
2014年に一般社団法人を立ち上げて活動を始めた頃、安藤さんと出会い、TOHOKU360は離陸した。その佐藤さんは自らも通信員として取材し、記事を書く。
33回連載した「仙台ジャズノート」
2020年2月から9月にかけては「仙台ジャズノート」という記事を連載で33回も書いた。ジャズの解説や評価ではなく、町で暮らしながらジャズ音楽を楽しんでいる人々の様子。それを通じて東北を発信しようとした。
「インタビューをしてみると、ほとんどのミュージシャンが能弁家だったのですよ。よくしゃべる。ミュージシャンとは音楽で勝負する、話をするものだと、私は勝手に思っていた。無口で、ポツポツ話すのが普通かな、と。実際は音楽活動の長さと比例して、語りたいことをいっぱい持っているんです。そのため、この種の連載としては異例なほどのインタビュー中心の読み物になりました。
そこへコロナが来て、彼らの日々の演奏活動は止まった。時間があるのに演奏活動はできない。そんな葛藤に打ちひしがれる人もいる一方で、『なにくそ』と思って演奏活動の再開を模索する人もいた。地域で演奏活動する人のいろんな面をみることができました」
今後、TOHOKU360をどのような形にしたいのか。編集長の安藤さんは、次のように語った。
「地域のために、具体的な力になれるメディアにしたいと思います。コロナ禍によって仙台で路上生活の方が増えているとしたら、その問題を取材するだけではなく、『どうすれば解決するんだろう?』と読者が考えるステップになるような。そのためにも、人間関係のハブのような存在になりたいと思っています。
例えば、仙台ではコンパクトにいろんなものが集まっています。ある問題が起きたら、NPO法人を紹介したり、大学の取り組みを伝えたりと、人と人をつなげて問題が解決できるような連携を構築したい。今はその道を模索しています」
取材:板垣聡旨=フロントラインプレス(Frontline Press)所属
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