33歳元産経記者が挑む「東北の現実」伝える闘い 住民が「まだ知られていないニュース」を発信
東日本大震災が起きたころ、安藤さんは大学4年生で大学院への進学を控えていた。国際政治学を専攻し、将来の目標は外交官。そんなとき、千葉県の実家で大きな揺れに遭遇し、東北各地が津波にのみ込まれていく映像をテレビで見続ける。
「無条件で信じていたものが、実はすごくもろかった。衝撃を受けました。大学院へ進学後、長期休みの間は岩手県大槌町や宮城県女川町へボランティアに行きました。津波の痕がまだ残っている時期です。あんなことがあったにもかかわらず、一人ひとり、たくましく生きていて、『私って今まで人の顔を思い浮かべてこなかったんだ』と。外交とか国益とか、マクロ的な勉強がとても空虚に思えました」
消えていく風景や話を残したい
進路を変えて産経新聞の記者になった安藤さんは、仙台市の東北総局へ配属された。警察や市政を担当しながら、被災した沿岸部へ向かう日々。新しく何かが生まれる一方で、消えていく風景がある。その風景や人々の話を残せないか。そんな思いで取材を続けていたという。
「自分自身、震災報道では、わかりやすくてセンセーショナルな話を求められる場面もありました。けれども、すごくつらい思いをしました、という報道は、それだけだと“リアル”とかけ離れていると感じて。メディアと実際の被災地の現場とで、乖離がありました。
もし、実際に現場にいる人自身がニュースを打てる仕組みがあれば、もっと生の情報を世に出すことができるのではないか。そう考えていました」
東北に足を運ぶようになってからは、地域独自の歴史観や多様な文化、風景、暮らしに気付かされたともいう。東京や実家のある千葉では、そんな情報に触れることもなかった。マスコミは東京に集まっており、地方にいる記者数は右肩下がりが続く。
「だったら現地の人がニュースを作れればいい、という思いが強まりました。そうすることで、表面化してこなかった東北の面白さや社会問題も、全国に知らせることができるのでは、と。メディアの力は大きいです。人の行動を変える力がある。仙台だったり、東北各地だったり、その地域にある情報を照らすことで、そこで暮らす人たちの生活がよりよくなるものを作れるだろうと思います」
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