スペイン初「日本女性サッカー監督」怒涛の人生 「チャーハンでも炒めてろ!」を乗り越えて
佐伯 そのとき、私の中に3つの懸念がありました。①外国人であること②日本でいえば未成年とされる19歳であること③女性であること。その3点を告げると、電話口のダイレクターは困ったような声で答えました。
「えっと、でもさ、君と僕、今普通に会話しているよね。スペイン語を理解できているよね。じゃあ問題ないよね。それから、年齢は条件が16歳以上だから、19歳なら問題ない。あと……。女性ですが、って、どういうこと? 聞かれている意味がわからないな」。電話口の男性はそう言ったという。
佐伯 実際は、私がスペインのサッカー指導者ライセンス受講者の女性第一号だったのですが、ダイレクターの方はまったく意に介してなかった。女性であることが問題でないことが、衝撃的でした。自分を丸ごと受け入れてもらったような気がして、私はこの国だったら生きていけるかもしれない、と思いました。
一般的に「サッカーは男のスポーツ」だった日本
そう感じたのは、日本での苦い経験があったからかもしれない。
小学2年生のとき、サッカーボールと出合った。サッカー少年団でプレーしていた同級生の男子がある日、サッカーボールを持って公園にやってきて「今日はこれで遊ぼう」と言ってサッカーを教えてくれた。たちまちサッカーのとりこになったが、少年団の監督は「女子は受け付けていない」と入れてもらえなかった。理由は、ボールが顔に当たってけがをしたら誰が責任をとるのか?というものだ。40年ほど前の日本では、一般的には「サッカーは男のスポーツ」だった。
佐伯 すごく悲しかったですね。でも、サッカーをあきらめきれなくて。「キックの仕方」と書かれている本を壁に立てかけて、インステップやトーキックを写真やイラストを見よう見まねで練習しました。
オレンジ色のユニフォームを着た男の子たちが楽しそうにサッカーをしている校庭の片隅で、8歳の女の子は壁に向かって黙々とサッカーボールを蹴り続けた。どんなに悔しかっただろう。
佐伯 3年生になったある日、見かねた同級生のお母さんが少年団の監督さんに私を会わせてくれました。短パンにショートカットで、いつも男の子と間違えられた私は、サッカー少年よりも真っ黒に日焼けしていました。「あ、この子か」とひとこと言って入団が許されたんです。その後、小6と中学1年だけ、父親の転勤で住んだ台湾の日本人学校でサッカー部に所属しました。日本人学校の先生が誘ってくれました。たくさんの人たちの支えがあって、サッカーと縁をつないでくることができました。
女性だからと差別されない喜びを味わう一方で、異国で生きようとすれば必ずついてくる人種差別にも遭遇した。指導者の道を歩み始めた20代。練習を終え帰宅すると、留守番電話に「おまえなんか、日本に帰ってしまえ」とメッセージが残っていた。その日はテレビ局の取材を受けた様子が放送された翌日だったため、そのことと関係があることは察しがついた。
佐伯 日本人の20代の女性がスペインで男子のユースチームの監督に就任したことは、珍しかった。快く思わない人がいたのでしょう。
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