駅に空襲跡、地下鉄に刻まれた「戦争の記憶」 「幻の新橋駅」は戦時中に一度復活していた

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幻のホームと空襲の因縁はさらに続く。幻のホームを使った折り返し運転は3月9日で終了し、翌3月10日の始発から浅草―渋谷間の通し運転が再開されるのだが、この間におこなわれたのが下町を中心に東京市内の3分の1を焼き尽くし、10万人ともいわれる犠牲者を出した東京大空襲だった。銀座空襲の痛手から立ち上がった銀座線が運んだ最初の乗客は、新たな空襲で焼け出された人々だったのである。

銀座空襲の被害については、前出の交通営団の報告書に「鉄骨鉄筋コンクリート構築には幅二・八メートル、長さ約三メートルの孔を生じ、鉄骨コンクリート桁を折損」とあるほかは石川光陽の写真が残る程度で、その後の復旧工事の詳細は全くわかっていなかった。

かろうじて、1977年(昭和52年)に地下鉄開業50周年を記念して出版された種村直樹『地下鉄物語』(日本交通公社出版事業局)に、「いまも営団銀座線銀座駅の新橋側はずれにある信号取扱所前で、浅草方面ゆきの側壁を見上げると、爆弾による衝撃の跡が生ま生ましく残っている。タイル張りの壁のコンクリートの上部がずれて飛び出しているが、崩れるおそれはない」という言及があるだけだった。

銀座駅に刻まれた空襲の跡

ところが、2019年に銀座駅で改装工事がおこなわれることになり、工事のために壁の化粧板を取り外したことで、復旧工事の実態が初めて明らかになった。

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銀座線は現代のトンネルとは異なる鉄構框(てっこうかまち)と呼ばれる構造をしている。これは「日」の字を横に倒した形状に組んだ鉄構框を等間隔に並べ、その間を鉄筋でつなぎ、コンクリートを流し込む鉄骨鉄筋コンクリート造りの一種だ。

鉄鋼框は左右対称なので、本来であれば1番線側と2番線側は同じ構造をしているはずだが、形状が異なっている。爆発の衝撃で2番線側の線路上部の鉄構框が破壊されてしまったのだろう。戦争末期の資材不足によるものか、あるいは復旧を急いだためか、鉄構框を復元するのではなく、トンネル側壁に埋め込んだ鋼材と鉄骨によって梁を支える構造にしたようだ。

東京都心に残る貴重な戦争遺産を目に見えるように保存すべきという声もあったが、改装工事の完了に伴って被爆跡は化粧板の裏側に消えてしまった。次に私たちの前に姿を現すのは、数十年後、再び銀座駅が大規模な改装工事をおこなうときになるだろう。

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