駅に空襲跡、地下鉄に刻まれた「戦争の記憶」 「幻の新橋駅」は戦時中に一度復活していた

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爆発によって鳩居堂は炎上し、地下鉄出入り口は枠組みを残して崩壊した。石川光陽(東洋経済編注:警視庁カメラマン、警視総監の特命によって東京の空襲被害を撮影・記録)は有楽町駅の被害状況を撮影したあと、四丁目交差点の現場に駆け付けて銀座駅のなかにも入っている。

銀座四丁目交差点の鳩居堂側地下鉄降り口に近く、都電の軌道上に爆弾一個落ち、その穴に大きな水道鉛管が切断されて物凄く水が奔流している。傍の地下鉄入口に七名の男が埋没されていて、警備隊員が猛火を背にして救助作業に必死の努力を続けている。
三越側の降り口から地下鉄の内部に入ってみると、中は暗く水の流れる音のみ聞こえて凄惨な気持ちだ。懐中電灯を頼りに、埋没者のいる側に来てみると、シャッターが内部に湾曲して簾のようになり、その中にうめき声が聞こえる。「今すぐ助けてやるから元気を出しておれ!」というと、微かな返事があった。
(石川光陽撮影日誌「都心炎上」、雄鶏社編集部編『東京大空襲秘録写真集』所収、雄鶏社、1953年、60ページ)

列車は空襲警報で運転を見合わせていて、被爆箇所付近に電車はいなかったのが不幸中の幸いだったが、1月31日まで被災区間の前後を運休して浅草―三越前と新橋―渋谷間で折り返し運転を余儀なくされた。

「幻のホーム」を使い折り返し運転

応急処置が完了した同年2月1日から復旧が完了する同年3月9日まで、浅草―三越前間は三越前駅の片渡り線を用いた折り返し運転、三越前―京橋間はB線線路を用いた単線ピストン輸送、京橋―新橋間はA線線路を用いた単線ピストン輸送と、被害を受けた銀座駅B線を避けて複雑な区間運転を実施した。

渋谷方面から来た列車は新橋駅のどこで折り返していたのだろうか。営業で使われていた新橋駅、つまり旧東京地下鉄道の新橋駅には折り返し設備は存在しなかった。東京高速鉄道との直通運転が始まるまで、新橋駅で折り返し運転する列車は、銀座延伸開業時に設置された銀座駅のポイントを使って折り返しをおこなっていて、銀座駅の信号扱い所が新橋駅の出発信号機を扱っていた。つまり新橋―渋谷間の折り返し運転は、新橋駅で唯一、折り返し設備をもつ旧東京高速鉄道の新橋駅、いわゆる「幻のホーム」を使っておこなわれていたことになる。

一般的に幻のホームは、東京高速鉄道が新橋まで開業した1939年(昭和14年)1月15日から、相互直通運転を開始する前日の9月15日まで8カ月間しか営業運転に使われなかったとされているが、正しくはその後、45年(昭和20年)1月27日から3月9日まで不幸にも復活を遂げていたのである。

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