国家的危機を検証して痛感するのは、危機の学びを生かすことの難しさである。
1999年の茨城県東海村でのJCO臨界事故を機に、官民の原子力災害専門家が原発保有国を視察して回り、原子力災害の危機管理に対する調査結果と提言をまとめ、公表した。調査団に加わった官僚の1人は、「あの報告書の提言が生かされていれば、福島原発事故はよほど異なった展開となっただろう」と振り返ったという。
2009年には新型インフルエンザ(H1N1)パンデミックが発生した。終息後、厚労省は「今後の再流行や、将来到来することが懸念されている新興・再興感染症対策に役立てていく」ため、H1N1対策総括会議を立ち上げ、検証をおこなった。報告書は保健所の体制強化、人材育成、PCRを含めた検査体制強化などを提言した。さらに10年後、H1N1対策総括会議の主要メンバーは再結集し、改めて2009年の新型インフルと、その後10年の歩みを検証した。しかし、そうした提言の多くは政府中枢や国民の多くに届かず、棚ざらしにされた。感染症危機に対する「備え」が欠けたまま、日本はコロナ危機に対峙することになった。危機の学びは生かされなかった。
本来得意なはずの日本だが国家的危機からの学びが苦手
日本は本来、学びが得意だったはずである。明治維新以降、欧米から貪欲に学んだ。戦後、アメリカの品質管理研究のコンセプトであったPDCA(計画・実行・評価・改善)サイクルを多くの日本企業が活用した。トヨタ自動車の「カイゼン」は、ものづくりの品質や生産性を高めるための手法として世界に広まった。「カイゼン」は国際協力機構(JICA)がアフリカで広く普及させ、コンセプトとして進化を続けている。
しかし日本は、国家的危機からの学びは苦手である。太平洋戦争については戦後、幣原喜重郎内閣が立ち上げた「戦争調査会」がGHQの反対により未完に終わった。吉田茂内閣では満州事変以来の日本外交の歩みを検証した「日本外交の過誤」がまとめられたが、50年以上、対外公表されなかった。その間、主に検証を担ってきたのは民間の研究者であった。政府自身が危機の検証に取り組むことはまれである。
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