「福島原発事故」10年後の今でも検証足りない訳 世界のどこにも起こりうる普遍的な挑戦

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フクシマはまだ、終わっていない。

しかし、フクシマが終わっていないことを最も象徴的に示しているのが、事故の対応と背景の検証が終わっていないことかもしれない。

2011年3月11日。地震に続く津波によって福島第一原発事故は起こった。

この事故と危機をもたらした原因は、政府事故調、民間事故調、国会事故調、東電事故調、そして学会事故調などの調査・検証作業によって相当程度、解明されている。

日本再建イニシアティブがプロデュースした福島原発事故独立検証委員会(民間事故調)の調査・検証報告書は、以下のように分析している。

人災を起こした5つの構造的背景

事故は、1、2、3号機が次々とメルトダウンを起こし、4号機が火災を起こした「並行連鎖原災」であったが、その本質は人災であった。

そして、その人災の構造的背景としては、

①絶対安全神話の罠
②安全規制ガバナンスの不全
③安全規制のガラパゴス化
④「国策民営」化のあいまいさ
⑤国家的危機に当たっての危機管理とリーダーシップの欠如

を挙げることができる。

絶対安全神話とは、過酷事故に対する備えそのものが、住民の原子力に対する不安を引き起こすという倒錯した原子力安全文化観のことである。別の言い方をすれば、それは、リスクをタブー視する社会心理を上部構造とし、原子力発電を推進する原子力ムラの利害関心を下部構造とする信念体系である。日本の“原子力ムラ”も政治・行政も、その罠にはまっていた。

安全規制ガバナンスでは、経済産業省と文部科学省の二元的かつ縦割り的原子力行政、経産省・資源エネルギー庁傘下に置かれる原子力安全・保安院に典型的に示される規制官庁の推進官庁への従属、そして電力会社が規制官庁よりも強い政治力を持つ“原子力ムラ”の政治力学、などの問題をはらんでいた。

安全規制のガラパゴス化は、日本の安全規制は国際的基準に照らしてみても非常に優れているという思い込みと優越感の下、過酷事故対策の義務化や対原発テロ対策の国際協調に後ろ向きだった原子力安全規制の「一国安全主義」を指す。

国策民営化とは、政府が掲げる原子力平和利用推進の「国策」を、民間企業が原子力発電事業を「民営」で担う体制のことだが、この体制は、平時はともかく、原災危機においてはまったく機能しないことが露呈した。過酷事故が起こった場合の国の責任と、その際に対応する実行部隊の役割が法体系の中に明確に位置づけられてこなかった。線量上昇時の原発からの退避、撤退の判断のようにオンサイトとオフサイトの境界にまたがる難しい判断について、誰が、いつ、どのように判断するのか。それをあいまいにしてきた。

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