憲法政戦 塩田潮著 ~際どい政権抗争の場では憲法も単なる道具と喝破
法律的に日本国憲法を論じた本、制定過程から論じた本はあった。安全保障を軸に護憲改憲を論じた本もあった。だが、「聖なる」憲法といえども際どい政権抗争の場においては単なる道具の一つにすぎない--系統立てて具体的にこう喝破する本に初めて出会った。書名を憲法「政」戦としたのもうなずける。
コロンブスの卵と人は言うかもしれない。それは違う。評者を含め、憲法を神棚に上げて済ます、そんな人間にこの発想は出てこない。政治は権力闘争なりと口で言うだけでなく、この揺るがぬ視点に立って戦後の政治・経済史を凝視し続けてきた著者でなければ書けなかった。
著者は聞き上手である。だからといって、相手を見る目がそれで狂うことはまずない。たとえば中曽根康弘氏について。「一方で、もしかすると、年来の主張である憲法改正も、政権の一枚看板だった『総決算』もスローガンにすぎなかった可能性もある。中曽根の達成目標は、権力の獲得と長期政権の実現それ自体だったのではなかったか」。
先の中国高官来日の際、「天皇と政治」の問題が改めて問われた。それを予想していたのか、著者は本著で一章を割き過去の事例を紹介して言う。「戦後政治の主役たちは、政策目標の達成、あるいは政権維持と政争乗り切りのために巧みに政治利用してきた」と。怖い話ではないか。
この問題については、民主党も何ら歴史に学んでいないことを露呈した。加えて、同党が持つあいまいさが「憲法をどうする」という大事な問題まで覆い隠してしまう心配はないか。安全保障にしても、たとえば小沢一郎氏の見解の変遷を追ってみて気付くのは、この党は日本をどこへ持っていこうとするのか、よくわからないことである。この党に詳しい著者に『民主党と憲法』という新著を期待したい。
しおた・うしお
ノンフィクション作家、評論家。1946年高知県生まれ。慶應義塾大学法学部政治学科卒業後、雑誌編集者、月刊『文藝春秋』記者などを経て、83年に独立。『霞が関が震えた日』で第5回講談社ノンフィクション賞を受賞。
日本経済新聞出版社 1995円 381ページ
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