宇野重規「執行権を民主的にどう統制できるか」 立憲主義だけでは日本政治はよくならない
民主主義と立憲主義の緊張関係
――安倍政権の時代には、安保法制の問題に対して、「立憲主義を守れ」という言葉をよく耳にしました。そこで伺いたいのは、民主主義と立憲主義の関係です。両者は対立とまでは言わないまでも、民主主義の暴走にブレーキをかけるのが立憲主義だというふうに、緊張関係にあるものとして議論されます。宇野さんは、両者の関係をどのように考えておられますか。
たしかに民主主義と立憲主義を対立的に捉える理解はあるし、むしろそちらのほうが王道かもしれません。いま指摘いただいたように、民主主義は正しい答えをつねに出すとは限らない。とすると、民主的な議論で出した結果をすべてよしとするのではなく、一定の枠をはめる必要があると考えるわけですね。例えば個人の人権や、権力分立のもとでの法の支配は、仮にみんなが「ないほうがいい」と言っても否定されてはならない。これらはあらかじめ憲法に書き込んで、別枠にしておこうというのが立憲主義です。
また、民主政的な支持を受けた指導者だからといって何をやってもいいわけではないという意味でも、立憲主義は重要だとは思います。
こういう発想は、『民主主義とは何か』でも書いたように、さかのぼれば19世紀の自由主義と民主主義の対立に端を発しているんですね。
ルソーは、人民自らが主権者となって立法をおこなう人民主権論を主張しました。それに対してフランスのバンジャマン・コンスタンという思想家は、誰が主権者になるかということよりも、個人の自由や権利を守るために、主権の力に外から枠をはめることが重要だと、ルソーを批判しました。
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