宇野重規「執行権を民主的にどう統制できるか」 立憲主義だけでは日本政治はよくならない

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――なるほど。当時の自由主義と民主主義の対立が、現代では立憲主義と民主主義との対立に置き換わっているわけですね。

ええ。ただ、そういう理解は、現代でも決してまだ常識にはなっていない気がします。実際、「自由主義と民主主義はぶつかることもある」と言うと、驚く人もいるんですね。自由主義も民主主義もいいものだから、いいものといいものを足せばよりよくなると素朴に考えてしまうんですね。

ですから、立憲主義と民主主義を対比的に捉える視点はいまなお重要です。ただ同時に、そういう議論に限界があるんじゃないかとも感じています。例えば、今の日本社会で政権批判をするときに、法の支配云々と言ったところで、なかなか理解されにくい。「個人の人権」と言っても、お題目にしか受け取ってもらえない。じゃあ裁判所が最後の歯止めになるかというと、日本の裁判所は非常に消極的で、いざというときになると急に慎重になってしまう。

そういう状況をふまえると、民主主義に外から枠をはめるという発想だけでは限界がある。より重要なのは、民主主義自体をバージョンアップさせて、状況を変えることじゃないかと思うんです。いまの民主主義って、あまりにも不十分なんですよ。選挙で代表を決めれば、あとはお任せみたいな安易な民主主義が横行している。でも、やりようはいくらでもあります。

まっとうな民主主義とは?

――立憲主義を強化するだけでなく、民主主義の質を高めていこうということでしょうか。

そういうことです。自由主義と民主主義は、完全に一体化はしない。でも今日、まっとうな民主主義といえば、すべての人に自由を認める民主主義以外にはありえないわけです。『民主主義とは何か』も、その条件からいかに民主主義を質の高いものへとバージョンアップしていけるかを考えようという組み立てになっています。

この点で、民主主義に批判的なリベラリストと処方箋が違ってくるんですね。彼らは、民主主義にどうしても警戒感を持っています。だから、どうしても民主主義の暴走を立憲主義で抑えようという発想になる。これに対し、私はあくまでもデモクラット、つまり民主主義者なので、「民主主義を抑えることで、よりよい政治をしよう」と言われると、やっぱり引っかかるんですね。民主主義は自分自身のことをちゃんと御していける。そういうふうに民主主義を高めていこう、というのが私の基本的発想です。

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