宇野重規「執行権を民主的にどう統制できるか」 立憲主義だけでは日本政治はよくならない

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――さきほど宇野さんが指摘された、執行権の民主的統制という点から考えた場合、官僚はどのような役割を担うべきでしょうか。

まずは国民に対する情報提供です。1990年代以降の政治改革の大きなあやまちは、政治家が官僚に一方的に命令することが政治主導だと理解されてしまった点にあります。でも、官僚が持っている情報は、政府や政治家の独占物じゃないんですよ。根本的には国民が議論する材料であり、その国民の議論をまとめることこそが政治家の役割です。だから、政治家が政府の情報を独占し、官僚に一方的に命令することはおかしな話です。

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現在の状況を考えると、官僚がしっかりと機能することはきわめて重要です。そのためにも、官僚がどういう情報に基づいて、どういうことを考えているかを、国民にもっと開示すべきです。審議会の議事録だけでなく、政策の決定過程や、基礎的な社会のデータをもっと出してほしいんですよ。

行政権や執行権の暴走を防ぐためにも、官邸のごく一握りの人たちが国民の目に見えないところで物事を決めることを許してはなりません。政府が自分たちの持っている知識や情報を、積極的に国民に示し、国民とともに議論することが必要です。

ところが、今の日本の政治はそれと逆行していて、データが出てきません。公文書でさえ隠す始末です。「なぜそういう決定をしたんだ」と後から文句を言われるのが嫌だから、隠れたところで決めてしまいたい。そのような意図ばかりが透けて見える。これは民主主義の真逆をいく行為です。

国民にもっとデータを!

――アカウンタビリティーをまったく果たそうとしていない。

コロナ対応でもそうですよね。対策の是非はともかく、アカウンタビリティーは極めて低かった。なぜそれをやるのか、やったことが正しかったのかどうか、全然説明しません。強制せずに国民の自発的協力を得るならば、情報を開示して、説明責任を果たすのが民主的なあり方です。

菅内閣が「デジタル化の推進」を掲げていますが、デジタル化の大事なポイントは、その情報やデータに「誰もが」アクセスできるようにすることだと思います。上から「はんこをなくせ」という話じゃなくて、誰もがデータを入手して利用できるようにする。国民がさまざまな情報にアクセスできるようになれば、そこから政治参加もできますよね。

政策決定過程を透明化し、そこに国民が自らイニシアチブを持って参加できるルートをつくれるかどうかが、今後、民主主義をアップデートするうえでいちばん重要な課題なんです。

斎藤 哲也 ライター・編集者

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さいとう てつや / Tetsuya Saito

1971年生まれ。東京大学文学部哲学科卒業。ベストセラーとなった『哲学用語図鑑』など人文思想系から経済・ビジネスまで、幅広い分野の書籍の編集・構成を手がける。著書に『試験に出る哲学 「センター試験」で西洋思想に入門する』がある。TBSラジオ「文化系トークラジオLIFE」サブパーソナリティも務めている。

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