もちろん最初は慣れない作業なので、現場はどうしても混乱する。それに腹を立てた得能が「あんな面倒なことをやるから間違いが起こる!」と激怒。渋沢も負けずに「よくそれで出納正が務まりますな」と応戦すると、頭に血が上った得能から突き飛ばされてしまい、渋沢はこう言った。
「ここは役所ですよ。役所の事務について意見を言うなら口があるはずだ。腕力沙汰は大人気ない!」
この騒ぎで処分を受けて、ポストから外されてしまった得能。渋沢も気の毒に思ってかばったが、さすがに暴力はまずかった。
現在では、簿記で帳簿をつけるのは当然のことだが、それを定着させるまでには、並々ならぬ苦労があったのである。
BANKを「銀行」と訳すことを決めた渋沢
明治4年に廃藩置県が断行されると、大蔵省で抱える仕事がさらに増加。渋沢は多忙を極める。なにしろ、陸海軍の費用が増加し、文科省や司法省などあちこちからも支出を求められるなか、それに対応するのは大蔵省だけである。
しかも、歳入がまったく追いつかず、財政問題はいよいよ深刻になりつつあった。財政に関心がない大久保に権限が集中していることへの不信感も高まり、渋沢は今一度、自分の役割を振り返った。
「今の形で大蔵省の会計を携えていくことは、自分には目的が欠けている」
渋沢が頭にずっと描いていたことをいよいよ実現するタイミングがやってきた。それは、産業の発展である。
井上とともに大蔵省を辞した渋沢。海外で「bank」と呼ばれていた金融機関をどう日本語に訳するか苦心して、ついに決めた。
銀行――。これこそが、紆余曲折を経た渋沢が実業家として飛躍する、最初の舞台となった。
(敬称略、第7回につづく)
【参考文献】
渋沢栄一、守屋淳『現代語訳論語と算盤』(ちくま新書)
渋沢栄一『青淵論叢道徳経済合一説』(講談社学術文庫)
幸田露伴『渋沢栄一伝』(岩波文庫)
木村昌人『渋沢栄一――日本のインフラを創った民間経済の巨人』(ちくま新書)
橘木俊詔『渋沢栄一』(平凡社新書)
岩井善弘、齊藤聡『先人たちに学ぶマネジメント』(ミネルヴァ書房)
記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
印刷ページの表示はログインが必要です。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら
無料会員登録はこちら
ログインはこちら