たった独りでオーストラリアに赴任
三宅:いきなり成功を目指さないとか、30点、40点でもOKとか、ホップ、ステップ、ジャンプというコミュニケーションの仕方に、市村さんの特徴があるような気がしますが、何か心掛けていることがありますか。
市村:とにかく話をすることですね。特に入社直後の半年は、日本も海外も全部の現場に行って、朝昼晩とよくしゃべっていました。当時は知らないことだらけだったので、そこの人たちを何人でも取っ捕まえて、議論して(笑)。終わらなかったら、夜、飲みながらでもずっと話していましたね。
三宅:もともと、話をするのは好きなのですか。
市村:実は、それほど好きではありません。誰も信じてくれませんが、ひとりでいる時間が好きだし、犬と遊んでいる時間も好きです(笑)。でも、何か変化を起こそうという組織にポンと外から入ってきたからには、会話が不可欠でしょう。私には最初の1年間だけ、意図的に口にしようと思っていた言葉があります。1年経ったら言うのをやめる。でも、1年間は言う。それは、「私は外様です」という言い方です。
つまりまだ組織になじんでいない外様だから、ちょっと言いにくいこともあえて言わせてもらいます、ということなのです。「外から見たら、こういうふうに見えますよ」ということは、現場の人だろうがマネジメントの人であろうが言わせてもらいました。
ですから、コミュニケーションはかなり意図的にやりましたね。それをやらないと、自分がこの組織で役に立ちませんから。
三宅:「さらけ出す」ということを意識していたのですね。まずとにかく素直に言いたいことを言う。それから議論を始めるという感じですね。
市村:なにしろ100年以上の歴史を持つ会社だし、ずっと成功体験を積んできた人たちが組織の上にいる。いろいろな重たいものがくっついているわけですね。それを全部、自分たちで意識できれば、わざわざ外から変なやつを連れてこなくたって(笑)、自分たちで変わっていける。でもそれが難しいからこそ、外の人間を引っ張ってくるわけです。だとしたら、外から来た者の役割は、そういったものを全部オープンに、見えるようにしていくことです。先ほど、コニカミノルタは素直な組織だと言いましたが、この会社は、自分で問題点が見えて認知したら、あとは自分で動くことができるのです。
三宅:議論をすることにも慣れているのですか?
市村:たぶん慣れちゃったんでしょうね。もともと営業の人間ですし。NECの最初の10年間ぐらい営業にいて、海外でメインフレーム(汎用大型コンピュータ)とか、ミニコンピュータとか、パソコンとか、プリンタなどを売っていました。
三宅:たしかNEC入社後、最初の海外赴任はオーストラリアでしたね。
市村:そうですね。入社3年目、まだバブルの華やかな頃で、会社ではアメリカやヨーロッパがメインターゲットだったとき、必ずしも優先順位が高くないオーストラリアに出されました。それもたった独りで。
三宅:独りですか(笑)? 人事の方は、市村さんのことをよくご覧になっていたと思いますが、どういう人間だと思われていたのでしょう。
市村:独りでなんとかするだろうと思われたんじゃないですか(笑)。もともとテニスをやっていた体育会系の男でしたから。いわゆる華やかなテニスじゃなくて、頭を丸坊主にして走り回るような。
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