孫(パンダ2世)を見たい! 切なる親(?)ごころ
だが、この年にパンダたちが妊娠に失敗すると、親たち(人間たちのことである)の焦りは段々と強まった。この種の焦りは親(くどいようだが人間のことである)から子どもたち(パンダ)の恋心を楽しむ余裕を奪い去り、親たちはいつの間にか自分たち自身のために孫(パンダ2世)を見たいと願うようになる。
しかも悪いことに、ただでさえ強い焦りは、ご近所の子ども(当時アメリカも米中国交正常化でパンダを贈られていた)との比較の中でますます亢進される。
こうしたメカニズムによって、「結婚」はもっぱら交尾の意味で用いられるようになる。だから、1977年の「結婚作戦」でパンダ2頭がこれまでにない親密さを見せても「パンダの“結婚”まだ」という扱いになるし、翌年以降積極的な交尾が見られるようになると「結婚」という見出しが紙面をにぎわすことになるのだ。
さて、ここまでのパンダをめぐる「結婚」の用法から、70年代の結婚についてどんなことが言えるだろう。まず言えるのは、恋愛結婚が広汎に認められているのは当然としても、実際のところ生殖はその恋愛結婚において不可欠であると見られていたこと。
そしてそれがゆえに、一度適齢期を過ぎたと見られると、見合いと恋愛との混合型結婚の中で親の介入が強まって見合いの要素が増した、という当時の結婚のメカニズムもうかがわれるだろう。
ああ、あんなにもかわいいパンダがこんな陰鬱な話題への入り口だったとは。読者諸君、パンダとはかくも危険な生き物なのだ。そのかわいさにほだされてデートに利用などしようものなら、痛い目を見ることになるだろう。
【「週刊東洋経済」2014/6/14号:IPO&新興市場を勝ち抜け】
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