「国民皆保険」が崩壊すると何が起こるのか アゼルバイジャンにみる「医療階層化」の教訓

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

医療の沙汰も金次第。一般庶民は長い待機列に耐えながら「無料の標準医療」を受け、金のある人は順番を飛ばしてもらったり、水準の高い医療を受けることができる。もっとお金があればプライベートクリニックで公立病院の専門医の治療を受けることができる。すごい金持ちや政府要人たちはそもそも国内の医者にはかからない。先進国に出かけて最先端の医療を受ける。

医師は医師で、公立病院で働いても給与はたかが知れていますし(旧社会主義国では、医師や教師といった人たちの給与はその専門性に比して非常に低いのが通例です)、頑張ったからといって収入が増えるわけではない。午前中はそこそこ働いて、副業のほうに精を出す。病院も(「自由診療」で頑張って稼いでも)民間並みの給与は払えないし、辞められても困るので黙認する。そのうちどっちが本業だかわからなくなります。

富裕層向けの「民間病院」も生まれます。「資本主義経済化・市場経済化」した旧社会主義国では、経済発展に伴って貧富の格差が広がります。つまり、昔はいなかったような「富裕層」が社会に生まれます。そういった人たちを相手にしたビジネス(高級レストラン・ブランドショップ・高級リゾートなど)がどんどん生まれます。医療の世界も例外ではありません。

市場経済の持つ「資金吸引力」「資源吸引力」は実にすごいです。民間病院はどんどん近代化し、医療機器も整備されて最先端の医療が受けられる。医師も看護師も、どんどん民間部門に流出する。ただし、有料(というかかなり高額。もともと医療サービスは安くありません)。 もちろん値決めは病院がします。なんたって「自由価格」ですから。

人もモノも金も、民間部門に集中していきます。それに対抗できる、というかついていける公的サービスはまずありません。医療サービスの供給、価格決定権は完全に民間サイドに握られます。金のある人はいい医療が受けられて一般市民は旧態依然としたみすぼらしい配給医療。いい医療・いい医者にかかろうと思えばそれなりの(というか、かなりの)お金がかかる。

国民の不満はどんどん高まっていきます。それでもこの国は「石油」という財源がありますから、公的病院にもお金をかけて医療水準を上げようと頑張っていますが、普通の国はそんなことはできません。公的サービスは医師の確保もままならない、設備投資もできない。ますます金が回らなくなって、貧相なサービスになる。でも長い待機列はなくならない。

教育の世界でも「階層化」

教育の世界でも同じことが起きました。かつてのこの国の教育は、一律平等無料の義務教育を提供していました。地区ごとに小学校中学校があり、各学校は通し番号「第〇〇小学校」がつけられていました。どこに行っても同じカリキュラム。同じ教科書でした。

今や、金持ちは私立学校に行き、もっと金持ちは海外の学校に行かせます。私立学校・金持ち学校は(小学校から)ロシア語や英語で教育します。優秀な教員は高給で私立学校に引き抜かれていきます。

他方で、公立学校に残った教員は、午後から学校で「補習」と称する私塾を開いて生徒から補習代を取って、自分の生活費の足しにする。政府も教員の給与を十分引き上げることができないので事実上それを黙認せざるをえない。そして、補習を受けないと事実上、上の学校には進学できない。

次ページ日本の公的医療制度は奇跡
関連記事
トピックボードAD
政治・経済の人気記事