大行列!「奇跡の喫茶店」は、いかに誕生したか 愛される「石釜ホットケーキ」が生まれた理由

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田村:うちがオープンしたのは2014年で、それ以前は珈琲館というチェーンの一店舗でした。店が入っている建物が古くなり、大家さんが建て替えをすることになり、それを機にチェーンをやめて、同じ場所で独自の喫茶店をつくることにしたのです。

店舗デザイナーと開店直前までの「協働作業」

田村「チェーンの時代と同じようなメニューを出しても生き残れない」と思っていたので、メニューを広げたいと思い、スクールに通うことにしました。渋谷の雑居ビルの上にバーテンダー向けのスクールがあって、そこがカフェで出すフードに関する講座をやっていました。

田村信之(たむら のぶゆき)/「石釜bake bread 茶房TAMTAM」店主。1957年生まれ、東京都出身。家業の喫茶店を自然の流れで受け継ぎ、食の世界へ。2014年9月20日にモダンな癒しの空間「石釜bake bread 茶房 TAMTAM」を神保町にオープン。「石釜ホットケーキ」を求めて、一部上場企業の社長もお忍びで行列に並ぶなど、大人気店になっている。 (撮影:今祥雄)

その講師陣のひとりに、店舗デザイナーの方がいました。その人との出会いがなかったら、この店もありませんでした。惜しいことに2年ほど前に亡くなってしまいましたが。

遠藤:その方が、いろいろなアイディアを出してくれたのでしょうか。

田村:そうです。講義が面白かったので、スクールとは別に、新店舗のデザインをお願いしたのです。デザイナーといっても、元はテレビ局勤務のサラリーマンだったそうで、図面が引けるわけでもなく、もっぱらスケッチやイメージ図で仕事をしていました。

私と一緒に店を切り盛りしている妻も連れていき、月に2度ほど、喫茶店で会い、3人で打ち合わせをしました。最初はどんな店をつくるのかから始まり、そこから店の名前、流す音楽、内装などについて話し合いました

遠藤:石釜を入れるというのは、田村さんの発想だったのでしょうか。

田村:どちらのアイディアだったか、それがよく覚えていないのです。そもそも、石釜でホットケーキを焼くこと自体、まったく考えていなくて、「トーストをまず焼いてみよう」と思いました

試行錯誤を繰り返すうち、おいしい石釜トーストが焼けるようになり、今度はトースト以外の食材も試してみようと思ったのです。

野中:そのプロセスでは、失敗もありましたか。

田村:もちろんです。石釜ホットケーキはフライパンで少し熱したものを、フライパンごと石釜に入れて完成させるのですが、そのフライパンの厚さの調節が大変でした。

厚すぎると中まで火が通らないし、薄すぎると、火が通りすぎてしまう。ちょうどよい厚さのフライパンにたどり着くまで、何個のフライパンを試したことか。生地を仕込む際の粉や牛乳の量の調節にも苦労しました。

ほかのフードメニュー、ドリンクメニューも準備していき、石釜ホットケーキが最終的に完成したのは最後の最後で、「開店の直前」でした

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