大草さんのいた編集部は、「規律のあるおしゃれや暮らし」こそが、美しいと考えるスタンスだった。
一方の大草さんは、入社4年目にして開眼した「サルサ」ダンスの影響で、南米の自由で開放的な思想や暮らしにあこがれ始めていた。双方の間に、ギャップが生じつつあったのだ。
「週3回もサルサを習いに行くほど、のめり込んでしまったのです。すると当然、仕事はおろそかになり、70%程度の力しか出していませんでした。なのに、会社や上司はそれでも評価してくれる。そんな自分はズルいなと、かえって居心地の悪さを感じてもいました」
それで、大草さんは、どうしたか。
「結論から言うと、南米に遊学したのです。メキシコから入ってキューバに行き、ドミニカなど南米5都市を、語学やダンスを学びながら巡って。若かったからこそできた話、無謀ですよねぇ」
現地では、朝11時からお酒を飲み始め、徹夜で飲み、踊るような生活。「10年分は遊んだ」と言う。
「祖母の病気がいよいよ悪化し、帰国を余儀なくされたときは、名残惜しくて泣きじゃくったほどでした」
出産、人の5倍働く生活、そして離婚……
27歳のときに南米から帰国してすぐ、また、新たな転機がやってきた。第1子の妊娠だ。
「相手は学生時代から7年以上付き合っていた彼氏でした。それで、すぐに結婚。20代当時、夫は地方勤務でしたが、私はついて行く気がなかった。というのも、次の仕事が決まっていたからです」
帰国後すぐに、光文社の20代女性向けファッション誌『CLASSY』編集部の門戸をたたき、フリーランスのスタイリストとしてレギュラーの仕事を獲得していたのだ。
「今からたった10年ほど前の話なのに、当時は、スタイリストや編集者やライターが、子どもを産むという話がほぼ選択肢になかった時代。子どもを産んで仕事をあきらめるか、仕事を辞めて子どもを産むかの二択しかありませんでした。私も、両立は難しいとは思いましたが、好きな仕事を続けたい気持ちが勝りました」
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