「人のために働く職業ほど低賃金」な根深い理由 看護師、病院の清掃員、保育士、教師…

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例えば、教育水準である。教育水準が給与水準を左右するものであるとして、もしこれが単に訓練と教育の問題であるならば、アメリカの高等教育システムにおいて、優秀なポスドク(博士号を取得後に任期制の職についている研究者)の多数が、貧困ラインを優に切った状態のまま非常勤講師をして――食料配給券にさえ頼りながら――食いつないでいるという状況は到底ありえないだろう。

一方、需要と供給だけでみるならば、現在アメリカでは、訓練を受けた看護師の不足が深刻なのに対し、ロースクール卒業者は供給過剰の状態にある。にもかかわらず、なぜアメリカの看護師が企業の顧問弁護士よりはるかに少ない給与しか受け取っていないのか、理解できないだろう。

理由はともあれ――わたし自身はといえば、それには階級権力と階級的忠誠が大いに関係していると考えている――、おそらくこの状況に関して最も悩ましいのは、きわめて多数の人びとが、この反比例した関係を認識しているばかりか、それが正しいと感じているように見える事実である。

古代のストア派がよくいったように、徳はそれ自らが報いである、というわけだ(いいことをしたらそれ自体が報酬であり、それ以上の対価は不要である)。

教師が多くの報酬を得てはいけない?

このような主張は、長らく教師に対してなされてきた。

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小学校や中学校の教師の実入りがよかったりしてはならない、法律家や会社の重役と肩を並べるようなことがあってはならない。こうしたことは頻繁にいわれている。もっぱらカネ目当ての人間に子どもを教えてもらいたい者がどこにいるだろうかというわけだ。

もしそのような理屈に一貫性があるならば、ある程度、理解できないわけではない。だが、一貫性は存在しない(例えば、同じ主張が医者にむけられるのを聞いたことがない)。

社会に便益(ベネフィット)をもたらす人間は多くの報酬を受けてはならぬ、という考えは、倒錯した平等主義とすらいえるかもしれない。

デヴィッド・グレーバー ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス教授

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David Graeber

1961年ニューヨーク生まれ。文化人類学者・アクティビスト。著書に『アナーキスト人類学のための断章』『資本主義後の世界のために――新しいアナーキズムの視座』『負債論――貨幣と暴力の5000 年』『官僚制のユートピア――テクノロジー、構造的愚かさ、リベラリズムの鉄則』『民主主義の非西洋起源について――「あいだ」の空間の民主主義』(すべて以文社)、『デモクラシー・プロジェクト――オキュパイ運動・直接民主主義・集合的想像力』(航思社)など。2020年9月に死去。

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