空手道にアフリカをよくするヒントがある?
話は変わりますが、僕の趣味は空手道で、セネガルでもケニアでも地元の人たちと一緒に空手を練習し、子供たちへの指導も行ってきました。空手は、道具などがなくてもできるので、貧しい人も、豊かな人も一緒に練習できます。一緒に汗を流すことで、心から信頼できる地元の友達がたくさんできます。
これまでアフリカで空手道をやってきて、もしかすると、ここに開発のヒントがあるんじゃないか、と思うようになりました。

最初は、空手を通じて、アフリカの子供たちが、努力する心や、自分を律する力を身に付けてくれればいい、と思いながら教えていました。「真っ直ぐな突きを打てないヤツに、真っ直ぐな道路が作れるわけがない」、そう思いながら、僕は時には怒鳴りながら、子供たちを教えていました。しかし、アフリカの空手道には、それ以上に深いものがありました。
セネガルでは、空手のチームはどんなド田舎の村にもあり、全国大会ともなると、選手たちがなけなしのおカネをはたいて、ボロボロのバスに乗って、首都まで上ってきます。大会は、セネガル人だけで過去何十年も運営されてきて、審判も自分たちで養成しています。
試合を見ていると、日本人的な感覚からしてイラッとすることも多いのです。セネガル人たちは、派手な蹴り技が大好きで、そういう大技はなかなか決まらないのを知りながら、多用します。それを見て僕は、「ちょっと……、そこで無理して大技出さなくても、突きのほうが決まりやすいんだから、突きで確実にポイントを取ってくれよ……」と思ったりします。

でも、セネガルに何年か住むうちに、いつしか、まあそれはそれでいいのかなあ、と思うようになりました。ある意味、セネガル人たちが、空手道を自分たちのよさを生かす(自分たちに合った)形で消化している、ということなのかもしれません。
そうなっているからこそ、やる気を持って、大会などを自分たちの手で運営し、空手道はセネガルのものとして現地に根付いているのでしょう。
一方で、僕たち外部の人間が持ち込む経済開発や貧困削減のプロジェクトは、現地に根付かずに、途絶えてしまうものも多いのです。そう考えてみると、経済のプロジェクトも、空手道のように、道を究めようとセネガル人に思わせる魅力を持たせ、自発的に続けてもらって現地に根付いていくためには、何が必要なのか、真剣に考えていかなければ、と思うのです。
また、空手道が、セネガルでは蹴り技を多用するテコンドーみたいな形になっているように、アフリカにかかわる僕たちも、アフリカ化する努力が必要なのかもしれません。世界銀行に勤める僕は、アメリカのワシントンDC本社の言語を、どこまでアフリカの「言語」に翻訳できるのか、逆に、アフリカの「言語」をどれだけ外の世界に出していけるのか、翻訳者/口承の語り部、であり続けたいと思うのです。
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